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田中野田に電灯がついた日

〔その11〕

平成2年1月号 第13号 中尾佐之吉

 私がまだ幼かった頃、それは秋であったと思う。日暮れ時になり母親に連れられて田んぼから帰ると、家の電灯が点いていたのである。しかも、部屋の中がずいぶん明るくなって、大変うれしかった思い出がかすかに残っている。
 それまでこの地方では、どこの家も灯油を燃やして明かりをとるランプだった。当時、農繁期には両親のいる田んぼに連れて行かれ、晩になって家に帰っても真っ暗闇。まずは、母親が前夜煤に汚れたままのランプのホヤを掃除し、油を足してやっと明りが点くのである。当然、ランプの灯は電灯の明るさにとても及ばないし、その電灯とて最初は私の家では2灯だけで、しかも1灯が10燭光である。現在のワットの明るさで言えば5ワットだそうだ。それでも、当時はとても明るく感じた。今はどの家もそうであるが、私のうちでも電灯の数は18個、しかも、昔のタングステン電球も今はなく、蛍光管に輝いているのである。

 田中野田に始めて電灯がついたのは大正9年である(和気督祐さんのお話)。岡山市に電灯会社ができたのは明治26年とものの本に書いてあるから、それに比べれば早い時期とは言えないが、それでも「電灯の点いた日」とは、この地区に「文明の灯りの点いた日」と言えるのではなかろうか。 それからおよそ70年、今日の充実した電化生活を誰が予想したであろうか。昔の不便で苦しかった生活に耐えて、黙々と働いてきた先人の努力を偲ぶと共に、暖房から炊事・掃除・洗濯まで限りなく電気のお陰を受ける恵まれた今の生活をありがたく思うのである。

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