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手がとどかなかった「新聞」

〔その25〕

平成7年7月号 第35号 中尾佐之吉

 私は朝起きると先ず新聞を見る。それが日課である。従って新聞の来ない日は寂しい。もう新聞の無い生活は考えられない。このように切っても切れない関係の新聞も、長い付合いかというとそうとも言えないのである。勿論、昭和の初め頃からわが家に入っているから半世紀以上の付合いと言うことになるが、新聞そのものは一世紀以上前から岡山でも発行されていたのである。
 わが家になぜ新聞が届かなかったかというより、なぜ新聞が購えなかったかを考えてみることにする。

 岡山では明治12年(1879年)1月「山陽新報(現在の山陽新聞の前身)」の第1号が発行されている。当時の新聞の大きさが、タテ1尺1寸・ヨコ7寸3分(約36×25cm)でタブロイド版より小さく、現在の新聞の半分ぐらいだったとか。そして、新聞1枚の値段は1銭5厘(1か月前金の場合は32銭、市外は郵送料が1か月25銭加算)である。
 
 新聞代ってたった1銭5厘かと思われるかもしれないが、当時の警察官(巡査)の初任給が月額4円(蓬郷巖著「岡山県庁ものがたり」による)だったということから、新聞代が32銭としても月給の8%にあたる。
 現在の新聞は朝刊で24頁から32頁建の組版で、しかも一部100円くらいだ。情報量も多くなっているが広告のスペ-スも多く、このため日給1万円の労働者でも新聞代は給料の1%に過ぎない。
 当時の新聞代が相対的にいかに高価なものであったかが知れよう。この地方の農家では、当然に手が出せる状況ではなかったことはいうまでもない。そればかりでなく「御一新」と言うことで諸制度はもとより、世の中の事情がどんどん変わっていくので、田舎者にとっては今までの常識は役にたたず、新聞の高級な論説は理解できなかったということもあろう。新聞は縁なき存在だったと思う。

 明治25年(1892年)7月には、岡山に山陽新報のライバル社として「中国民報社」が生まれる。「山陽」「中民」の両紙が社運をかけて、よい意味での競争をするようになる。どちらもよい新聞を出そうと苦心し、購読者を増やそうと努力するので、発行部数は急速に増えたようである。特に日露戦争が始まると戦況ニュ-スに関心が高まり購読者が急増して、明治39年には山陽新報の発行部数も4万部を越すほどになったと言う(注1)。

注1 山陽新聞の創刊時の発行部数は600とか。また、明治37年に1万部を突破したという(岡長平「岡山始まり物語」による)。

 大正12年の関東大震災は特大ニュ-スになったと思うが、新聞のないわが家では当時、それについての話はなかった。その頃には田中野田でも医師をしておられた原正雄先生や他に数件のお家に新聞を取っておられたのではないかと思われるので、関東大震災は大きな話題になったはずだと思ったのだが、私にはとんと記憶がないのである。もっとも、それは私の6歳の頃だったから大人の話はわからなかったのかも知れない。


 大正11年か12年頃には、私の家でも自転車を買っている。アメリカ製で価格も100円だったと聞いている(注2)。
 また、大正13年頃、和気岩夫さんが石油発動機や関連機器を田中野田で初めて買われた(その後、この地区で石油発動機が急速に普及するのだが…このことはすでに書いた)。
 自転車にしても発動機にしても、生活に便利で仕事の能率があがるとなると「金のことは言うておれん、道具を買ってやらないと若い者が働かないようになる」という時代になってきた。

注2 当時の100円を米の値段で現在の価格に換算すると、およそ20万円くらいになる。今の高級自動二輪車なみである。
 なお、自転車による新聞配達は明治33年に始まっているが、その自転車もアメリカ製で一台が173円(現在の私の推定価格で約40万円)であったと「岡山始まり物語」に書かれている。


 大正14年(1925年)、普通選挙法が成立して25歳以上の男子に衆議院議員の選挙権が与えられた。そうなると皆が政治に関心を持つようになる。わしは政友会が好きだ。わしは民政党を応援するぞという声も出る。山陽(山陽新報)は政友会系じゃ。中民(中国民報)は民政党系じゃそうなとか、いろんなうわさが流れたりする。
 新聞社もここぞとばかり、あの手この手で購読者の拡張に乗り出す。あの家にとれば自分の家にもというようになって、昭和の初め頃には大抵の家が新聞を買うようになった。文明開化の余恵が半世紀にして、ようやくこの地方にも訪れたことになる。
 昭和11年には当局の勧奨で山陽新報と中国新報は合併して、名前も「山陽中国合同新聞」となった。戦後、合同新聞を「山陽新聞」に改め今日に至っている。現在、同社の発行部数は40万部を超えているそうだ。新聞は社会の木鐸といわれているが、新聞業界も時代の移り変わりを反映して動いているのである。

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