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区画整理で川舟が消える

〔その9〕

平成元年7月号 第11号 中尾佐之吉

 もう既に数も少なくなっているが、今まで用水路に浮かんでいた川舟は区画整理でその必要が完全に失われて、近い将来消えてなくなる筈である。この地方の川舟は巻頭の写真で見られる通りである。この川舟は各農家に一隻づつ持たれており。今のように自動車が普及していなかった時代には、なくてはならない運搬輸送用具であった。その昔、荷車のなかった時代、あっても狭い農道しかなかった頃は、舟を使い用水路で物資を運んでいたのである。

 水田稲作にとってはなくてはならない用水路は、この地方では四方にめぐらされていた。用水路を利用し近隣の村はもとより、岡山市内へも川舟で物を運ぶことができた。用水路に架かっている橋の桁を高くしているのは、夏の用水期に水嵩が増しても川舟の運行を妨げない為である。 
 川舟は幅1m、長さ5mくらいの小さなものであるが、稲の収穫期に籾でカマス40袋分を運んでいたそうだから(和気輝明さんの話)、1トン以上の積載能力を持っていたのである。
 主として運搬用に使われていた川舟が、時には川での魚やひしの実採取に利用されたり子供達の川遊びにも使われた。このことは、和気加太志さんがふれあい新聞5号で『野田川の今昔』として詳しく述べられている。

 この川舟の新造費用であるが、昔から米10俵(60kg×10)と言われていた。今の米の値段で換算すると20万円くらいになるが、現在、このような価格でできるであろうか。

 区画整理で田中野田が大きく変貌する。昔の姿が次第に消えていくのはやむを得ないとしても、残せるものなら昔の面影や自然は残したいと思う。この川舟も一隻くらいは陸でそのままの形で残したいものである。公園の一隅にでも保存したらどうであろう。

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