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「ふれあい新聞」50号発行によせて

-創刊時からの12年間を顧みる-

〔その40〕

平成11年4月号 第50号 中尾佐之吉

1.はじめに
 「ふれあい新聞」40号の発行の際は、創刊のいきさつを述べさせてもらった。今回はこの新聞最初の発行の年(昭和62年)に始まった田中野田土地区画整理をはじめ、周辺の土地区画整理によりすっかり変わってしまったこの地域のことを書かせてもらおうと思う。

2.この地区の世帯数や事業所数が急増する
 昭和62年の田中野田の世帯数は260であったが、現在は500を超えてまさに倍増である。また、田中野田の事業所数も昭和62年には14に過ぎなかったのが、現在は63に急増している。
(参考)戦前の昭和6年(私のこどもの時)の旧今村(上中野・下中野・今村・中山道・西長瀬・田中・辰巳・平田の地区を含む)の世帯数が510であったことを思うと隔世の感を覚える。

3.統合して生まれた西小学校の学区がつぎつぎに分離する
 複式学級でなければよい教育ができないと昭和34年、今・白石両小学校が無理やり統合させられて西小学校が生まれた。当時の児童数は789名。その後、昭和48年に大元小学校が創設され、西学区のうち上中野・下中野地区が大元小へ通う。昭和55年、西学区の白石地区が新設の陵南学区へ分離される。昭和62年に児童数1500名を超えた西小は、平成2年に通学区域設定審議会が設けられ、西小のさらなる分離が協議されるのである。そして平成6年、西小学校区のうち西長瀬・田中・久米・今保地区を御南学区とする御南小学校が誕生した。

4.公共施設の整備充実がなされる
 土地区画整理により6m(一部4m)以上の道路が縦横に張りめぐらされたがその他に
(1)排水ポンプが設けられる
 田中野田の区画整理事業の始まるに当たって当地区が旭川水系の末端で浸水対策のため、排水ポンプ設置が急務として市に要求し辰巳水門へ口径800ミリの排水ポンプを設置してもらう(その後、平田地区に口径1500ミリを2基設置の大型排水場が設けられた)。

辰巳水門にできた排水ポンプ

(2)下水道が敷設される(都市ガスも)
 区画整理の道路新設工事に併せて下水道工事も同時に施工されることを市に要望したところ、早速ことが運ばれて平成5年には当地区で供用開始となった。このことは西学区で最初のことである。
(昭和初期、旧今村で上水道敷設が計画された時、経費の負担に耐えられないと村民の大々的な反対運動が起きたことを思い出し感慨深いものがある)。

(3)公園が整備される
 田中野田の区画整理で町内の3カ所に公園(合わせて7544㎡)が整備された。また、今土地区画整理で設けられた辰巳西公園(6244㎡)も完備され町内で利用している。

田中野田2号公園

(4)その他にも
 平成7年には田中野田の新公会堂が完成したし、平成8年には待望の御南西公民館が設置された。そして、御南学区の中央を流れる笹ヶ瀬川に御南大橋が架設され平成10年12月に全面開通する。

御南西公民館
御南大橋

御南大橋:平成12年(2000年)10月27日 中尾佐之吉撮影

田中野田公会堂
旧・田中野田公会堂

5.むすび
 10年ひと昔というが、この12年、変貌した田中野田のことはいくら書いても書ききれないわけで、この際はこの程度で許してもらうことにする。しかし、最後に次のことを特に書き添えておきたい。ある日、町内の公園のトイレに行った。トイレは掃除が行き届いていて気持ちがよい。そして花瓶が置かれ美しい花が添えられているではないか。私は町内の方が公共の施設を大切にされ、その美化を気遣う奥ゆかしさに深い感銘を受けた。私はこのような多くのよき隣人の集う「田中野田」を誇りに思うのである。

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