本文へ

古里で知られていない知名人「原虎一」さんのこと

〔その13〕

平成4年1月号 第21号 中尾佐之吉

「岡山人名辞典」に原 虎一さんのことが次のように記載されている。

 原 虎一  1897-1972 (明治30-昭和47)
 明治30年11月16日御津郡今村(現岡山市)に生まれる。早稲田工手学校卒、労働運動に入り労働総同盟中央執行委員、東京市会議員を務めた。戦後昭和22年日本社会党より第1回参議院議員選挙に全国区で当選、参議院労働委員長となる。  昭和47年7月3日没、年76。

 出身地を「今村」とあるが、わが町内の生まれである。生家はもうなく、大森 郷さん宅の南で今は 27m道路(大元-辰巳線)になっている。
 小学校を卒業すると直ぐ上京された。徴兵検査で帰郷されたこともあろうが、郷里との交流は希薄で戦前の活動状況は殆ど知られていなかったようである。
 戦後、虎一さんが参議院議員になられたことが知れた時には、この地区の者はびっくりしたことだろう。議員になられてから一度、墓参に帰郷されたことがあるようだ。私の父は虎一さんとは1年歳上で幼なじみだったためか、その時々文通もあったらしく何枚かの年賀状も残っていて、昭和31年頃は社会党中央執行委員、昭和35年ごろは日本労働会館理事長をされていたことが分かる。
 私は虎一さんを全然知らない。話に聞くだけで、せめてこの人の声でも聞きたかったと残念に思う。

SNS 文字 ページトップ