「わが郷土を語る」
「わが郷土を語る」は、故中尾佐之吉さんが町内会発行のふれあい新聞第60号(平成13年10月号)まで連載しておられました。町内の方々の「貴重な記録を残したい」という思いにより、平成20年(2008年)に冊子まとめ発刊され、旧ホームページにも掲載されています。
広く皆さまにお読みいただけることを願って、新しいホームページにも公開しました。経緯等については『わが郷土を語る発刊にあたって』の後に追記しています。令和5年(2023)1月吉日
- 「わが郷土を語る」発行にあたって
- 「御南(みなん)」ということば
- 「田中野田」の地名の由来
- 「名前のついている町内の三つの橋」
- 「笹ヶ瀬川はかって 汐入川であった」
- [地表から深さ10米に及ぶシルト層よりなる田中野田の地層]
- 地区の守り神「地水神さま」などについて
- 文明開化の先駆者、医師「原善十郎」先生のこと
- 明治生まれのパイオニア「原孝一」さんのこと
- 区画整理で川舟が消える
- 区画整理で消えてしまう「川津」(かわつ→かわち)のこと
- 田中野田に電灯がついた日
- 田中野田の巨木と古木
- 古里で知られていない知名人「原虎一」さんのこと
- 田中野田水門「渡し場」と「せんだん」の樹
- 「とんど」と「とんどまち」
- 今地区と周辺の農業用水の慣行
- 農業機械化の歩み
- 「大森喜一先生頌徳碑」にきく
- 戦前、正月行事は旧暦だった
- 御野郡(みのごおり)へ嫁にやるな
- 蓮昌寺と“みそきん”の話
- 備前法華を今地区に見る
- 難産だった今村の上水道敷設
- 地震とわが御南の郷
- 手がとどかなかった「新聞」
- 小学校入学時はキモノだった
- 昔、日の丸弁当・今、豪華な学校給食
- 昔の生活をふりかえって(その1)
- 昔の生活をふりかえって(その2)
- 「ふれあい新聞」40号発行に寄せて(御南の語源も)
- 昔、学校はなくとも勉強はしていた
- “笹ヶ瀬川廃川地”はこのようにして生まれた
- 呼び名への「さんづけ ちゃんづけ」
- 「君と僕」ことばはいつから
- 故虫明松次郎さんの足跡をたずねて(その1)
- 故虫明松次郎さんの足跡をたずねて(その2)
- 辰巳村 長瀬浪次先生のこと
- 昔は敷居が高かった
- いずこも同じ、明治生まれの農家主婦あわれ
- 「ふれあい新聞」50号発行によせて
- 除疫神「牛頭天王(ごずてんのう)」によせて