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蓮昌寺と“みそきん”の話

〔その21〕

平成6年7月号 第31号 中尾佐之吉

1.蓮昌寺
 岡山の蓮昌寺と言えば、西国第一のお寺として昔から有名である。日蓮宗のこのお寺は、かの大覚大僧正(注1)が布教のため岡山へ来られた当時、この地方を治めていた松田氏(宇喜多直家との説もある)の援助により、今からおよそ660年ほど前の正慶年間(1332-1333)に創建されたと言われている。
 その敷地に建立されていた壮大な堂宇も戦災で丸焼けになり、現在は田町1丁目へ鉄筋コンクリ-ト造りの本堂が再建されているが、往時の姿はもはや見られない。

注1 大覚大僧正(1297-1363 )は、日蓮宗京都妙顕寺の住職 (妙顕寺を開基とした日像上人の後継者)で、備前・備中に初めて日蓮法華宗を布教された。

(写真は蓮昌寺HPより)

2.泣く子もだまる “みそきん” さん
 この蓮昌寺に“みそきん”という乞食が住んでいたそうで、私が幼児の頃(70年以上前)、泣いたりやだをこねているとよく親から「泣きょうるとみそきんが来るぞ」と脅かされたものである。しかし、実際は見たことはなかった。ただ一度だけ「みそきんが来ょうるぞ」と言われ、家の裏口から恐る恐る覗いてみるとボロボロの着物をつけた年寄りが杖をついてこっちへ来るのが見えるのである。私は怖くて表へも出られなかった記憶がかすかに残っている。もちろん顔などは覚えてもいない(注2)。そして、いつとはなしに“みそきん”のことは、誰からも言われなくなってしまった。

注2 私と同年配の中仙道の小野田弘さんも“みそきん”のことは聞いておられるそうだから、当時はこの近郷でもよく知られていたと思う。

3.郷土史家「岡長平さん」の本でみる“味噌金”の話
 私がこの記事を書くのについて、有名な“みそきん”のことだ、誰か、彼のことを書いているかも知れない。それなら岡長平さん以外になかろうと調べてみると見つかった。「ぼっこう横丁」という本である。次の枠内の話が岡長平さんの語る“みそきん”である(一部省略)。

 …人権を捨てて、自恣に生きる流浪自然人に、味噌金と呼ばれるのが蓮昌寺の門のあたりに住んでいた。もの言わずの、阿呆のような様子をしてて、将棋がぼっこう強いので誰も舌を捲いとった。正業は柳川筋の花万(葬式屋)の花持ちで白い衣装を着せられて行列に従ってぶらぶらついて行きょうた。
 …味噌金が死んだので懐中を調べたら、どえらい銭を持っとったので、霊柩車で賑やかに火葬場へ送ってもろうた。「死んで初めて自動車に乗ったのは、味噌金ぐらいのもんじゃろう」と世上の噂になったもんだ。残金はなんぼあったか忘れたが、蓮昌寺へ永代供養金として奉納した。
 住持の高見慈悦は、毎年、将棋仲間を集めて善哉を供えて将棋大会を催し、味噌金の冥福を祈っていた。

〔備考〕
霊柩車は、岡山市では大正6年の春頃から使われるようになったそうだ(吉岡三平編「岡山事物起源」による)。

4.もう一度、親に聞いてみたい“みそきん”さんのこと
 「聞くと見るとは大違い」という言葉があるが「みそきん」に対する私のこどもの時のイメ-ジと事実とは大違いである。びっくりする。岡長平さんもいくらか美化して書かれたかも知れないが、とにかく悪いイメ-ジばかりもっていた私は「みそきん」さんに謝らねばならないようだ。そして、こどものしつけには役立っていたんですよと、親に代わって感謝しなければならないのかも…。
 また、私が見たという乞食の“みそきん”さんは、夢であったのであろうか。
 どちらでもよいことかも知れないが、味噌金の名前の由来も知りたかった。岡長平さんはそれには触れていない。

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