田中野田の巨木と古木
〔その12〕
平成2年10月号 第16号 中尾佐之吉
田中野田に巨木や古い木があるのかと思われるかも知れない。実際、過去には大きな樹があり、今もわずかではあるが残存している。
私の家には戦前、2抱えくらいの大きな松があって近隣には「田中野田の大松(おおまつ)」として知られていたし、田中野田のシンボルとして、また、家も「おおまつ」と代名詞で呼ばれていた。
当時300年以上の樹齢であったこの老松は、松喰い虫のため終戦の翌年枯死してしまった。
私の家ばかりでなく、中尾昭義さん、中尾マツ子(小橋郁夫)さん宅などにも1抱え以上の大きな松があったが、同様の運命となり残念なことである。
松の木以外で注目される樹は榎(えのき)である。
2年前、原好幸さん宅の裏の旧い屋敷の「戌亥(いぬい)」の隅にあった幹周り 2.49mの大きな榎が、根元から2mのところで折れて枯れてしまった。私の家にも目通りの幹周り1.43mの榎が屋敷の北西(いぬい)にある。榎は通例、またヨノキとも呼ばれるそうである。おそらく、めでたい木“嘉樹”を意味したものであろう。
民俗学者-柳田国男の著書によると、人家の邸内にこの木を植えるという風習は中部日本の広い地域に行われ、名古屋近傍ではその場所は必ず屋敷の「戌亥(いぬい)」の隅であると書かれている。屋敷の四隅の中では戌亥が最も大切なところとされるのであろう。
この地方にも同じような風習があったわけである。「えのき」の根本には私の家でも「ほこら」があり、地主さまとして祭っている。「えのき」は他の古い家にもあったのであろうが、今は見当たらない。
田中野田で現存する大きな樹と言えば、原渥美さん宅の樟の木であろうか。幹周り1.49mである。
岡山市内にも大きな樹があったが空襲をうけて焼失し、近隣の大きな松なども松喰虫にやられて見えなくなってしまった。
屋敷に榎を植えたり街道の一里塚に榎や松を植えたのは、木の生い繁るようにその家の繁栄を願い、道ゆく人の安全を願ってのことと思える。昔の人の信仰のあらわれであろう。そうは言っても木もなかなか大きくなれるものではない。人と同じように100年以上を生きた老木を大事にしたいものである。