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区画整理で消えてしまう「川津」(かわつ→かわち)のこと

〔その10〕

平成元年10月号 第12号 中尾佐之吉

 「田中野田」にまつわる昔の話をまとまりもなく書かせてもらっているが、皆さんはどのように感じて下さっているのであろうか。気にはしているのである。ただ、年寄りが昔のことを少しでも今の人に伝えておきたいとの思いがこうさせているのだと、おおらかな気持ちで受け入れてくださるようお願いする次第。

 今回も前号に続いて川に関係すること、川縁にある石段である(写真)。一般にはこのような場所を「川津」(かわつ又はかわず)と呼んでいるが、この地方ではこの言葉が「かわち」になまり、さらに岡山弁で「カウェ-チ」と呼んでいる(広辞苑では「川津」のことを「川辺の物洗い場」とある)。

 川への降り場として作られた足場「川津」は昔、各戸にあった。水田稲作農業地帯のこの地方に用水路は欠かせなかったし、生活の面でも水とは切り離せなかったのである。家を川の近くに建て「洗濯」や「もの洗い」はこの川を利用した。井戸は各戸にはなかった時期もあったし、あっても主に飲み水・風呂水・すすぎ水に使っていた。

 この地方に上水道が敷設されたのは昭和6年である。それ以後、水道によるきれいな水がふんだんに使えるようになって「川津」の必要性が次第に薄らいでいき、現在ではこの地区でわずかしか残っていない。しかし、区画整理でいずれは完全に姿を消すことになろう。原好幸さん宅南側の「川津」だけは残してもらえるかもしれない。
 私には忘れられない「川津」の思い出がある。幼少の頃、家の裏の「かわち」で遊んでいて不覚にも2度も川へ転落し溺れているところを助けてもらった。一度は意識不明になり数分で命を失うところだった。まったく命拾いしたのである。今日まで生きてこられた私の人生は、神さまと地域の皆さんのお陰であると今も感謝しているのである。

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