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とみやま点描
2018年(H30)以降の話題について
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[ 2018年1月22日 ]
操山丘陵に散策路ができました
操山丘陵の東南部にある吉備津岡辛木神社へ続く「詩の小径」から「鳥池」まで約450mの散策路が完成しました。地図のとおりです。
この辺りは竹や灌木が生い茂り鬱蒼とした林でしたが、とみやまエコクラブが県の助成を得て5年をかけて明るい林に変え、そこに散策路をつくりました。岡山市所有地を選び中区役所の許可を得ておこないました。
【関連ページ】 ニューストピックス(2013年12月8日) 『とみやまエコクラブの湿性植物園と散策路づくり』
【関連ページ】 ニューストピックス(2014年11月24日) 『とみやまエコクラブの操山・どんぐり苗、しょうぶ苗の植えつけと遊歩道づくり』
【関連ページ】 ニューストピックス(2015年11月29日) 『「散策路づくり」と「どんぐり苗の植樹」』
【関連ページ】 ニューストピックス(2016年12月17日) 『とみやまエコクラブの操山の散策路づくり』
【関連ページ】 ニューストピックス(2017年11月18日) 『操山森づくり活動 〜操山に新しい散策路ができました〜』
平成26年11月の森づくりの参加者 |
大きな木は残し孟宗竹と灌木を伐採し、伐採した竹を使って散策路の柵を設置し、小鳥の巣箱を32箇所につくり、コナラの苗を90本植樹し、竹製ベンチを2箇所に設置しました。また、急な坂には竹で階段をつくり歩きやすくしました。
竹の柵と散策路 |
急坂には竹の階段・右が詩の小径 |
竹製ベンチ |
小鳥の巣箱 |
コナラの苗植樹 |
富山学区の住民にとって操山は市街地の中の独立した山として、自然に親しむ憩いの場でありオアシスです。良い天気の冬のひととき、落ち葉で滑らないよう注意しながら散策してみてください。
(文・写真:とみやまエコクラブ 行枝)
[ 2017年12月24日 ]
輪くぐり
富山学区に鎮座する吉備津岡辛木神社及び石高神社では7月の晦日に“輪くぐり”(別名「夏越の大祓」)が執り行われます。
これは神社の鳥居や注連縄を張った結界内に茅で編んだ直径2メートル程の輪を建て、ここを参拝者が正面から最初に左回り、次に右回り、そしてもう一度左回りと3回くぐることで正月からの半年の罪穢を落し、残りの半年を無事に過ごせることを願う神事です。
標高70m程の笠井山中腹に鎮座している吉備津岡辛木神社は7月30・31の両日午前9時から正午まで神職によるお祓いが受けられ、市街地に近い石高神社は31日の午後6時から8時30分の間お祓いを受けられます。
両神社では善男善女が神妙な面持ちでお祓いを受けている様子が垣間見えました。
また石高神社では2軒の夜店が出て子ども達が楽しそうに夏の夜のひと時を楽しんでいました。
31日の石高神社の“輪くぐり”では富山地区青少年育成協議会のメンバーによる巡回も実施され、安全・安心な富山学区に一役買っていました。
(文・写真:横地)
[ 2017年8月4日 ]
倉安川のカモの親子
6月4日午前から午後にかけて、富山公民館裏の倉安川(公民館への橋の東)に、カモの母子がいるのを見つけました。
散歩する姿が「わぁ、かわいい!」「とても癒されるぅ」と、道行く人々の人気のマトになっています。
子ガモたちは全部で9羽いて、卵から孵(かえ)ってまだ間がないようですが、母ガモが終始傍にいて(また、小ガモたちも母ガモから大きくは離れず)、水が減って川底が出たところをヨチヨチ歩いたり、水たまりに入って遊んだりする姿がとても可愛く、いつまで見ていても飽かないくらいです。
巣の在りかはよく分かりませんが、子ガモの運動能力からしてそんなに遠いところではないと思われ、「巣は父ガモが守っているようだ」と言う人もいます。
生まれたばかりのたくさんの赤ちゃんガモを引き連れてのお散歩(水練)は母ガモにとって大役ですが、イタチなどに襲われることなくすくすく育ってほしいと願わずにはいられません。
(文・写真:小野田)
[ 2017年6月6日 ]
江戸時代初期に築堤された旧堤防を撤去 〜海吉福吉町内〜
海吉福吉町内には、今からおよそ350年前の江戸時代初期(寛文9年 西暦1669年もしくは貞享3年 西暦1686年ころ)に築堤されたと思われる旧堤防の一部(長さ約130メートル、端幅 約3メートル、高さ 約3メートル、底部 8〜10メートル)が岡山市中区海吉2306−1「特別養護老人ホーム富山荘」の東側に残されていました。この堤防の北端は東側に新設された新堤防へと続いていました。
平成7年から平成8年ころにかけて行われた工事で道路として生まれ変わりました。今では昔の面影を見ることは出来ません。また、南端には道路が東西に通じており道路の一部は堤防でした。
南端直近の民家の西側を南方向(国道2号線)に旧堤防が続いていました。今は道路になっており昔の面影を見ることは出来ません。
工事前の旧堤防
旧堤防の北側から南方向を望む(東側斜面) | 旧堤防の北側から南方向を望む(西側斜面) |
東側から旧堤防を望む(右側の建物が富山荘) | 堤防の南東から堤防を望む |
旧堤防の南から北方向を望む | 旧堤防の南側で堤防上の道路と西側の道路が交差する |
旧堤防の南から北方向を望む | 旧堤防の南から北方向を望む |
旧堤防の最南端(市道が東西に走っている) | 民家の間を南方向(R2号線)に堤防が続いていた |
海吉福吉町内の旧堤防撤去現場及び周辺見取り図
旧堤防盛り土撤去工事断面図
旧堤防西側基礎部分には2〜3段の石が積み上げられており、江戸時代の初期に築堤の際に使用されたものと思われます。石積は盛り土が流水で浸食されるのを防ぐように工夫されたもので貴重な歴史的遺構として残っています。
国土交通省 岡山河川事務所 清綱 百間川出張所長 から旧堤防の撤去について
旧堤防は、百間川築堤完成(平成9年)により役目を終えました。また、旧堤防の維持管理に多額の経費が掛かることなどから旧堤防の管理権限を国土交通省から岡山市に移譲しました。
今回の旧堤防の撤去工事は「百間川整備工事」の一環として行われており、平成29年3月20日から3月31日までの間 パワーショベルやダンプカーを使用して旧堤防の土砂 約1.300立方メートル(ダンプカー 260台分)を取り除く作業を行いました。取り除いた土砂をダンプカーで運び岡山市東区中川町地内の溜池の埋め立てとして使用しました。
旧堤防の土砂撤去工事は堤防上にバラスなどを敷き詰めた後、南端に車が通行できないように鉄柵を設置して完成です。
旨の説明がありました。
工事中の旧堤防
旧堤防を掘り下げる工事を知らせる看板(北側から南を望む) | 南端から北方向を望む |
南から北方向を望む | 旧堤防南端で堤防道路と西側の道路が交差する |
パワーショベルで旧堤防を掘り下げる | パワーショベルで掘り下げた土砂をダンプカーに積み込む |
パワーショベルで旧堤防を削り取る | 旧堤防の北から南方向に向かって削り取る |
町内の古老によれば
旧堤防の撤去が行われている南端付近の地名を「見附」(みつけ)と呼んでおり堤防が田んぼを取り囲む形で続いていました。この見附の堤防の両脇に民家が4〜5軒が建っており、この中に日用雑貨を扱う店がありました。タバコや駄菓子、ラムネ、ジュース、酢、醤油などを売っていたのを覚えています。家の使いで店に酢などを買いに行きました。また、駄菓子などを買ったこともありました(昭和17年から昭和40年ころ)。今ではその面影を知る人は少なくなりました。
などと昔の思い出を懐かしく話してくれました。
旧堤防西側基礎部分の石積 | 南から北方向を望む |
南から北方向を望む | 南東側から西方向を望む(写真中央は富山荘) |
旧堤防の土砂を取り除いた後、堤防上にバラスなどを入れ固める
削った後にバラスなどを入れる(北側から南方向を望む) | 北側から南方向を望む |
南から北方向を望む | 南東から北方向を望む(左手の建物は富山荘) |
南端から北方向を望む | 南から北方向を望む(中央に見えるのが畑) |
バラスなどを入れ完成した堤防工事
北側から南方向を望む(右手の建物は富山荘) | 北側から南方向を望む「一般車両は通り抜けできません」の表示と反射板 |
南端から北方向を望む | 南端に設置された表示 |
江戸時代初期から今日まで歴史の荒波に揉まれながら生き証人として役目を果たして来た旧堤防の一部はこれからも静かに世の中の遷り変りを見守って行くことでしょう。
(文・写真:長畑)
[ 2017年5月16日 ]
富山配水池築造工事
岡山市中区今谷地区に2基の巨大な貯水タンクが完成しました。その名も『富山配水池』。
◆ 経緯 ◆
現在の山の南面一帯には、陽光台配水池(海吉地区)、南陽台配水池(中川地区)、鳥打山配水池(中川地区)の施設があり、中腹にある住宅地へ配水しています。
築造後数十年が経過し、老朽化や容量不足、水圧不足、耐震性能不足等、多くの課題を抱える様になりました。この地区に点在する施設を統合して、新たに整備されたのがこの配水池です。※「池」と言ってもオープン施設ではなく、貯水タンクです。
配水池に係る工期 | 2015年6月〜2017年3月 |
総事業費 | 4億9千万円 |
容量 | 1基あたり 1,500m3 |
(外観:タンク内径 19.6m、地上高 8.5m) 有効水深 5m |
2015年12月 基礎工事を終え | 重機で骨組みを組み上げ中。 | その名も富山配水池 |
2016年2月 円型の外枠が | 徐々に姿を現せてきました。 | 外観です。 |
2016年11月 タンク2基の内部や | 周辺の工事に入っています。 | 銘板 |
2017年1月 舗装やフェンスの | 工事に入っています。 | 外観です。 |
2017年3月 斜面には芝を張り | 門扉も看板も出来て完成です。 | 緊急時給水口 |
兼基加圧ポンプ場で加圧された水道水が、一気に山の中腹にあるこの配水池まで登ってきます。配水は、この配水池から自然流下で、今谷地区側と海吉地区側に配水されます。配水範囲は、南陽台(中川地区)、陽光台(海吉地区)をはじめ、今谷地区、米田地区、海吉地区、福泊地区にまで及びます。
この工事と併行して配水管の布設工事も行われてきました。
配水池から耐震管と呼ばれる地震に強い水道管φ350mmを地中に埋設し、陽光台団地を下り倉安川手前で分岐します。一方は南陽台(中川地区)へ、一方は海吉地区へ供給する管に接続されます。
管は、陽光台の斜面を | 下って倉安川を渡ります。 | 工事看板 |
掘り返された道路も | 綺麗に舗装され | 完成です。 |
水道局の方の話では、『配水池や本管の布設工事は3月末で終わりますが、老朽施設の撤去については、順次計画を立てて実施します。遅くても2年以内には完了させたい。』とのことでした。
(文:太田、写真:太田・横地)
[ 2017年3月30日 ]
倉安川川床改修工事〔平成28年度〕
富山学区に東西に横たわる倉安川の改修工事は、集中豪雨時における山崎及び福泊地内の住宅地への浸水対策を目的として、平成元年ごろから順次行われています。
平成28年度は、昨年度に引き続き川床改修工事が海吉地内で行われました。
〔海吉中村地区〕 | 工期 | 平成28年10月〜29年3月 |
工費 | 4,300万円 |
昨年、地盤改良した区間〔海吉883−2先辺り〜海吉886先辺りまでの約74m、923−1先辺り〜丸の内橋辺りまでの約114m〕を重機で掘り下げて、3方をコンクリートで固定します。
平成28年10月 | 重機を入れて | 掘り下げていきます。 |
平成28年11月 | 要所には切梁を入れて | 掘っていきます。 |
川底を平らにして | 鉄筋を張っていきます。 | そこへコンクリートを流し込みます。 |
平成28年12月 | 側面にも鉄筋と型枠で | 3方コンクリートになっています。 |
平成29年1月 | ミキサー車とポンプ車で | 敷設作業は続きます。 |
平成29年2月 | 切梁も取れて、 | コンクリートの乾き具合を待ちます。 |
平成29年3月 | 堤も取れて通水され、 | 全ては水の中です。 |
(文・写真:太田)
[ 2017年3月30日 ]
倉安川河川整備事業現地説明板がお目見え
平成29年3月初め、海吉本村地区を流れる倉安川のほとりに倉安川河川整備事業現地説明板がお目見えしました。
説明板は、高さ191cm横幅89cm奥行7.8cmアルミ製で、地図・写真・説明文の3枠で構成されています。
説明板の全体像 |
中区を流れる川の位置 |
排水施設等の写真 |
歴史や整備事業の紹介 |
- 【経緯】
- 現在実施されている倉安川河川整備事業を後世に伝えるために、中区役所が設置しました。
- 【設置箇所】
- 倉安川沿いに3箇所〔海吉・山崎・平井〕で、関係する3つの連合町内会〔富山・旭操・平井〕に各々設置されました。
- 【設置についての想い】
- 歴史や整備事業を現地で紹介することで、皆さんに倉安川の来歴や文化に触れる機会を増やし、愛着や誇りを醸成してもらいたい。
皆さんも川沿いを散歩しながら、3つの説明板を見つけてみてください。
(文・写真:太田)
[ 2017年3月14日 ]
倉安川川床改修工事〔平成27年度〕
富山学区に東西に横たわる倉安川の改修工事は、集中豪雨時における山崎及び福泊地内の住宅地への浸水対策を目的として、平成元年ごろから順次行われています。
平成27年度は、昨年度に引き続き川床改修工事が海吉地内で行われました。
〔海吉出村地区〕 工期 平成27年12月〜平成28年2月
前回地盤改良された箇所を掘り下げていきます。施工区間は64.0m、川底を1.2m掘り下げて両側にL型コンクリートを設置し、底に鉄筋を入れコンクリートを打設しています。
川をせき止め重機を入れます | もう一方もせき止めます | 重機を川の中に入れて |
掘り進んでいきます | 底を均してL型ブロックを敷き | 底に鉄筋を入れていきます |
鉄筋にコンクリートを流して | 原状復帰 全ては水の中 |
〔海吉中村地区〕 工期 平成27年10月〜12月
前回からの続きで、石井邸前辺り〜内田邸辺りまでの約73mの区間に約380ヶ所に地盤改良機で、深さ約1.0mの箇所から長さ1.0mのセメントを注入します。更に湯浅義高邸辺り〜丸の内橋辺りまでの約110mの区間約480ヶ所に地盤改良機で、深さ約1.0mの箇所から長さ1.0mのセメントを注入します。
ふれあい橋付近 | 新世紀橋付近 | 要所をせき止めて足場を作ります |
作業事務所が出来上がり | プラント設備も出来ました | 地盤改良機はレールの上を |
移動させてセメントを注入していきます | 丸の内橋まで注入して終了 | 原状復帰されます |
(文・写真:太田)
[ 2016年2月13日 ]
海吉本村にある通称奥谷の池浚渫工事
海吉本村地区で倉安川に注ぎ込む海吉川、その源になる通称奥谷の池。落ち葉や倒木などで埋まった池の底を浚(さら)って周囲への流水を防ぎます。ここの浚渫は、数年間隔で行われています。今回は特に、平成27年7月の台風が大きく影響して、ご覧のとおりの状況です。工期は12月中旬〜1月初旬まで。
12月中旬頃、池の水をポンプで排出して空にします。周囲はシガラ(柵)で囲ってあります。
底は枯れ枝や枯れ葉がたくさん埋もれています。重機で周りの倒木や枯れ枝等を除去し、底を50cm程度浚えていきます。泥はシガラの脇に均してあります。
常時、奥谷から水が流れ込んでいて、作業の止まった年末年始には、水が溜まっていきます。
重機の通った周辺を整地して作業終了です。池の水も勢いよく海吉川に流れ込んでいきます。
(文・写真:太田)
[ 2016年1月15日 ]
倉安川川床改修工事〔平成26年度〕
富山学区に東西に横たわる倉安川の改修工事は、集中豪雨時における山崎及び福泊地内の住宅地への浸水対策を目的として、平成元年ごろから順次行われています。
平成26年度における富山学区地内の倉安川改修工事は、護岸の嵩上げ工事が山崎地内で、また、河床改修工事が海吉地内で行われました。
〔山崎地区〜福泊地区にかけて〕 工期 平成26年11月〜12月
倉安川北岸(写真左岸)は、以前の工事で嵩上げされています。
工事区間は約160mで、『以前の大雨で川の水位が上昇し、南側に溢れ出た区間』になります。従来からある護岸にコンクリートを打設して嵩上げを行います。
福泊地区内 南岸 | 福泊地区内 工事後 | 山崎地区内 工事後 |
〔海吉出村地区〕 工期 平成27年1月〜3月
前回からの続きで、亀池邸前〜富山橋に向かって約64mの区間を掘り下げるために必要な地盤改良を行います。約450ヶ所に地盤改良機でセメントを注入し、深さ約1.2mの位置から長さ2mで改良します。
川を埋め立て作業路を確保 | 重機で支障物を撤去 | セメント注入ポイントを決定 |
地盤改良機でセメント注入 | ここまでで終了し原状復帰 |
〔海吉中村地区〕 工期 平成26年11月〜平成27年6月
前回からの続きで、中村橋〜ふれあい橋に向かって約70mの区間を掘り下げるために必要な地盤改良を行います。約450ヶ所に地盤改良機でセメントを注入し、深さ約1.5mの位置から長さ1mで改良します。
軟弱地盤のため、川底に切梁が | 川を埋め立て作業路を確保 | 地盤改良機の登場です |
セメントを注入していきます | 固まってから掘り下げていき | 切梁を入れて更に掘ります |
底と側面の鉄筋を組立 | 型枠組立後にコンクリートを打設 | 底が固まると側面への打設 |
固まると切梁は撤去し完成 | 工事用通路やフェンスを撤去し | 通水して全ては水の中へ |
(文・写真:太田)
[ 2015年6月13日 ]
見事に咲き誇るサツキに目を奪われて
福泊川東地内を通行中、余りにもみごとなサツキの満開に目を奪われてシャッターを切りました。
以前は、近くにお住まいの小寺夫人(近年は施設で療養中)が丹念に手入れされていたそうですが、現在は同町内会のシルバークラブが主体的に管理しているとのこと。
まさか、1本の木に3色の花は咲かないでしょうが、一見1本の木盛りに赤・桃・白、さらにその混合色と鮮やかな配色に設(しつら)えられ、なかには高さ2メートルにも及ぶ小山のようなサツキもあって、春を盛りと咲き誇っています。
(文・写真:小野田)
[ 2015年5月3日 ]
操山探訪 〜新緑に包まれた金蔵山古墳を訪ねて〜
富山の自然を楽しむ会[實村 貢(みむらみつぎ)代表]では、平成27年4月25日(土)午前9時から午後0時まで、岡山県内第4番目の大きさを誇る前方後円墳・金蔵山(かなくらやま)古墳(4世紀末ごろ、岡山市中区沢田、墳長約165メートル)の見学を行いました。
参加者27名(男性10名(内1名小学生)女性9名 スタッフ8名)が公民館に集まりました。
初めに、實村代表が「金蔵山古墳の概要」について説明し、その後「金蔵山古墳」についてのビデオを鑑賞しました。
公民館前で出発前の準備運動をみんなでして、倉安川沿いに西に向かいました。
晴れ上がった青空の下をみんな元気で目的地を目指しました。倉安川沿いを西に進んだあと住宅地を通り曹源寺の総門前を西に進みました。民家の庭先にはツツジ(キリシマツツジ)が咲き、道ばたにはフジが長い花房を付け、薄紫の花を咲かせていました。
急な山道を上って行くと木立のあちらこちらにタケノコが頭を出していました。しばらく山道を上ると金蔵山古墳に着きました。古墳の説明は、岡山市埋蔵文化財センターの安川氏が行いました。
最初に金蔵山古墳の概要と発掘調査の様子を交えながら説明がありました。
「操山丘陵のほぼ中央の標高 約100メートルの山頂にある前方後円墳で墳長165メートルの古墳です。四世紀後半から五世紀初頭に造られた古墳で造山古墳築造以前では中国、四国、九州地方で最大です。明治以降数多くの出土品が出土、昭和28年には倉敷考古館が中心に後円部墳頂の発掘調査を行い、2基の竪穴式石室、副葬品用の小石室、埴輪列、副葬品、埴輪が出土しました。
今回の発掘調査で「造り出し」の存在を確認、埴輪群、特異な墳端構造、特に「造り出し」の埴輪群の配置状況と性格や起源、古墳の中での役割について説明がありました。
さらに、「古墳全体が山林の中にあり、全体を観察することはほとんどできませんが、吉備を代表する古墳のひとつです」等と話しました。
その後、後円部の竪穴式石室(南石室)横で説明がありました。(順路A)
竪穴式石室は外から内部の状態が一部見え、見学者が交代しながら興味深く石室の中を覗き込む姿が見られました。
次に、竪穴式石室(南石室)北隣りの中央石室跡(順路B)の様子を見ることはできなかったものの、石室があったと思われる場所を興味深そうに観察する参加者の姿が見られました。
次いで、前方部と後円部の交わるくびれ部の西側に移動し「造り出し」の部分(順路C)について、
「埴輪列は円筒埴輪列と柵形埴輪列で仕切った中に、家形埴輪、囲形埴輪を設置していました。県内の150メートル超級の古墳から埴輪列が出土するのは初めてで、吉備の有力者と大和政権が政治的に密接に結び付いており、吉備の有力者が大和政権の一翼を担っていた可能性が高い」
との説明がありました。
さらに北に進み前方部西側面(順路D)について
「葺石の根石もはっきりせず、葺石石材も小ぶりなものが多く、円筒埴輪も径が小さいものでした」
と発掘で出土した埴輪などについて説明がありました。
最後に前方部北西側の隅角(順路E)の構造について、
「西側斜面部分は急斜面のため崩落したのか葺石は残っていませんでした。また、盛土で墳丘が造られています。前端部は中世に大きく造成されているようで、葺石より北側を大きく削平した後に盛土をしている状況が観察できます」
と説明がありました。
金蔵山古墳での見学を終え 円山不動明王を経由して帰路につきました。新緑に染まった木々の間を抜け、一行は元気に公民館に帰り着きました。
参加者から「今日、参加してよかったです。金蔵山古墳の素晴らしさと古墳を造った人々の苦労がよくわかりました」などの声が聞かれ、アンケート用紙に思い思いの感想を書いて解散となりました。
「富山の自然を楽しむ会」のスタッフの皆さんお世話になりました。
※ | 順路については、金蔵山古墳平面図を参考にして下さい。 |
---|---|
※ | 「造り出し」については古墳の前方部と後円部の交わるくびれた部分からテラス状に張り出した部分のことで、この場所は祭祀(さいし)の場と考えられています。 |
(文・写真:長畑)
[ 2015年4月29日 ]
百間川右岸 海吉地区堤防補強工事 〜大仙樋門南から海吉橋下流〜
中国地方整備局 岡山河川事務所では、平成26年12月15日から平成27年3月31日までの間、百間川の右岸 大仙樋門南(5K000)から海吉橋下流(5K467)までの444mの堤防補強工事を行いました。
この工事は、旭川と百間川分流部の改築後、百間川に計画高水量(旭川で150年に一度の確率の流量、即ち、海吉地区で2.000m3/sec流量)が流れても堤防が決壊しないように整備したもので堤防の法面や河川敷の一部を削り取ったあと遮水シートで覆い、その上に護岸ブロックを設置し、各々のブロックを連結金具で固定したあとその上に削り取った土を盛り、洪水時の堤防侵食により、堤防の破壊を防止するのが目的で、施工後は強固な構造の堤防に生まれ変わりました。
また、植物が生えやすい自然環境に配意した堤防になりました。
堤防補強工事の概要
海吉地区護岸工事断面図
(1)堤防法面と河川敷土砂の削り取り
ユンボや法面用バケットクレーンを使用して堤防の法面(幅 約6.5m)と河川敷(幅 約3m)の土砂(深さ 約40cm)を削り取りました。
工事前のオムロン東側法面 | 工事前の海吉橋南の法面 |
工事を知らせる看板 | 堤防上に設置された工事を知らせる看板 |
オムロン東側の削り取られた法面 | 海吉橋南の削り取られた法面 |
(2)遮水シートの敷設
土砂を削り取った法面と河川敷に遮水シート(縦8.5m 横2m)約220枚を敷き詰めました。遮水シートは二重構造で素材は合成繊維(1cm)とビニール(1mm)部分が結合した構造となっています。ビニール面を地面に密着させ一枚一枚の隙間が開かないように敷き、雨水がシートの間から染み込まないようして堤防の強度を保っています。
工事現場に置かれた遮水シート | 護岸ブロック |
法面に敷かれた遮水シートと護岸ブロック | 削られた法面に敷かれた遮水シートの上に並べられた護岸ブロック |
(3)護岸ブロックの設置と連結
遮水シートの上に覆土タイプのコンクリート製の護岸ブロック(縦横 100cm×厚さ18.5cm重さ240kg)約3,500個をバックホー(クレーン機能付きの重機)を使って一個ずつ釣り上げ法面や河川敷に敷き詰めています。さらに、全ての護岸ブロックを金具で連結し、一つひとつが洪水で流されないように固定されています。
連結することで、護岸ブロック全体の強度がより一層増す工法になっています。
オムロン東側法面に並べられた護岸ブロック | 海吉橋南の法面に並べられた護岸ブロック |
護岸ブロック設置の様子 | クレーンで護岸ブロックを釣り上げる |
護岸ブロック設置工事 | 法面に護岸ブロックを設置 |
法面に設置された護岸ブロック | 護岸ブロックが金具により連結 |
法面に敷き詰められた護岸ブロック | 取り付け道路工事 |
土手から河川敷に通じる取り付け道路工事 | 取り付け道路工事 |
(4)護岸ブロックの覆土
堤防法面や河川敷から削り取った土砂を護岸ブロックの盛土(約40cm)として戻し植物が生えやすい自然環境に配意した堤防となっています。
護岸ブロックを土で覆う | プレートで覆った土を固める |
大仙樋門から南方向を写す | オムロン東の法面を南から写す |
ハンドガイドローラー機械 | 河川敷から堤防上道路に通じる道路 |
堤防道路から河川敷に通じる道路 | 海吉橋南から南方向を写す |
(文・写真:長畑)
[ 2015年4月12日 ]
大型農業機械を使い堆肥を田んぼに散布
1月5日(月)、海吉地内 古家宅の田んぼで早朝から夕方までホイールローダー(土木機械)とマニュアスプレッタ(大型農業機械)を使用して堆肥の散布作業が行われました。
この作業は、堆肥[牛糞、籾殻、木屑を混ぜ合わせ発酵させた物(約60t)]をホイールローダーを使ってマニュアスプレッタに積み込み、連結したトラクタで田んぼを往復しながらマニュアスプレッタが自動で田んぼ(約2ha)に堆肥を散布して行くものです。
「堆肥散布の作業は、大規模な酪農家等が行う作業で珍しいものではありません。近郷の農家では大型機械を使っての作業はしていません。」との話でした。また「ほとんどの堆肥散布作業は人がスコップなどを使い一杯いっぱい田んぼに堆肥を散布して行くやり方が一般的な作業方法で、大型機械を使うことで堆肥を効率よく散布することができ作業効率を上げることが出来ます。また、堆肥は化学肥料と違い自然環境に優しく安全です」と話し、「美味しい米を作るには田んぼの土作が必要です。そのため自然にやさしい堆肥を散布しました。」とトラクタの運転席から笑顔で答えてくれました。
(文・写真:長畑)
[ 2015年1月8日 ]
吉備津岡辛木神社の迎春準備
寒風吹き荒ぶ厳寒の12月17日(水・大安)朝9時前、本村町内在住の吉備津岡辛木神社の氏子13名が宮総代長の木見初男さん宅倉庫に集合し、神社本殿及び拝殿の注連縄作りをしました。この作業は2年に一度の恒例行事となっているものです。
そして午後は拝殿の長さ約4メートル太さ約30センチの大注連縄作りに取り掛かりました。この注連縄は設置場所等の関係から丈夫な古藁を使い、午前と同じように全員で呼吸を合わせ一致協力して綯い終えました。
神社本殿と拝殿に真新しい注連縄を吊り終えたのは陽が西に傾いた4時過ぎでした。
新春初詣に来られた善男善女をお迎えする準備が整い、神様もお喜びの事でしょう。
(文・写真:横地)
[ 2014年12月19日 ]
正月飾り作り講習会
寒さ厳しい12月7日(日)午後1時30分より、富山コミュニティ協議会主催の“正月飾り作り”がコミュニティハウスで開催されました。
コミュニティハウスでの正月飾り作りは諸般の事情で中断されていましたが、有志の方々の努力で5年ぶりに復活したものです。
当日は参加希望者43名が實村さん・福森さんほかの指導のもと、当地に伝わっている“めがね飾り”を作りました。藁を綯(な)うのが初めての人、左綯い・右綯いが上手く出来ない人などは指導者や農家の人の手助けを得て、苦闘の末に世界にただ一つの正月飾りを作ることができ、にこやかに自信作を手に家路につきました。
飾り用の装飾品は福泊町内の石井さまより提供して頂く等、多くの方々の協力を得て盛会裏に終える事ができました。
今回のお飾り作りの準備は今春から始まっていました。
お飾り作りはまず稲藁作りから始まります。梅雨の晴れ間を利用して6月22日に“百間川緑地海吉広場愛護委員会”を中心に本・中村町内会の有志18名で、本村町内の(コミュニティ協議会会長の湯浅一弘さん所有)の休耕田二畝(約60坪)足らずの田に、近くの農家から寄付して頂いた朝日米の苗を植えました。
【関連ページ】 とみやま点描「昔ながらの田植え」
刈り取りは稲穂の出る前にする必要があり、天候不順に悩まされた8月でしたが晴れ間の12日に多数の有志で刈り取りをしました。そして富山中学校の校舎横をお借りし、数日間天日干して乾燥させ倉庫で保管していたものを、11月23日に束ねる等の下準備を行い当日を迎えました。
講習会場には緑色した稲藁の新しい畳表のような爽やかな匂いが漂い、参加者たちの表情からは幸せな新年の到来が見てとれるようでした。
(文:横地、写真:横地・佐藤)
[ 2014年12月09日 ]
江戸末期嘉永年間の大太鼓が旧家の納屋に
海吉福吉町内の旧家の納屋に江戸時代末期に作られたと思われる大太鼓が保管されています。
この大太鼓は「胴(木製の胴の部分)約60センチ」「鼓面(革が張ってあるところの直径)約45センチ」で筒状の胴の両面に革が張られた両面太鼓です。胴回りの木目模様などから欅(けやき)もしくは檜と思われますが、定かではありません。
「嘉永四年」の文字 (実際の写真) |
画像処理で文字を強調 |
胴の中央部分に墨で「嘉永四年九月 吉日 辛亥(かのとい)」と書かれていました。
嘉永四年は、西暦1855年で幕末期に当たり、土佐の坂本龍馬や長州藩の高杉晋作などが活躍していた時代の太鼓であることが、書かれた年号から推測することができました。
太鼓に書かれた文字は消えかかり、張られた革は色あせ、革が少し破れていましたが、桴(ばち)で太鼓を叩くと勇壮で味わいのある音を奏でることができました。
持ち主は「この大太鼓は、平成5年ころから平成16年ころに掛けて海吉福吉町内会の秋祭りに参加していました。だんじりの後に続き、こどもが太鼓を叩きながら、太鼓を乗せた台車を引っ張って町内を廻っていました。台車は提灯で飾り付けられ、大太鼓は装飾が施されており華やかでした」等と懐かしそうに話しました。
今では、町内の祭りに参加することもなくなり、納屋の中で時の流れを静かに見守っているそうです。
(文・写真:長畑)
[ 2014年10月22日 ]
福吉A班子ども会の朝のラジオ体操会
福吉A班子ども会[嶋村久美子会長、会員63名(男26名 女37名)]では、本年は7月22日(火)から8月29日(金)までの間の夏休みの期間中、岡山市中区海吉の富山荘北側空き地において朝のラジオ体操を行います。休みになるのは8月11日(月)から8月15日(金)までと土曜日、日曜日、それに雨天の日です。
福吉町内では、昭和30年代後半から夏休みの朝のラジオ体操を続けています。今までは、民家の庭先や空き地、駐車場を転々としながら行っていましたが、平成24年7月から現在の会場で朝のラジオ体操を行っていて、今年が3回目となりました。
初日の22日(火)は、ラジオ体操の始まる前から幼児を連れた親子や小学生、高齢者が次々と会場を訪れ、広い会場がほぼ一杯となりました。参加者は約80名(幼児10名、小学生50名、大人20名)でした。
嶋村会長は「前回までは、夏休みが始まった最初の一週間と夏休みの終わる前の一週間だけラジオ体操をしていました。今回は地域の皆さんと子どもたちが一緒になってラジオ体操を長くすることで顔見知りになり、犯罪の防止に役立てばと思っています。」などと抱負を語りました。
ラジオ体操の歌に続いて「腕を前から上にあげて・・・」の声に合わせて体操が始まりました。6年生が前で皆をリードしていました。高齢者も子どものころのことを思い出しながら体を動かしていました。
お父さんお母さんと一緒に |
高齢者も一緒に |
体操が終わるとそれぞれが持ってきたラジオ体操出席カードを6年生に差し出してスタンプを押してもらったり、シールを貼ってもらっていました。
小学5年生の男子は「なかなか起きられなかったけど体操は楽しかった。」と笑顔で話しました。高齢女性からは「朝の早起きは気持ちが良く、子ども達と一緒に体操をして若返りました。」などの声が聞かれました。
また、参加者の中には、県外から帰省していた孫と一緒に参加していた高齢者や地域の高齢者の姿が多数みられるラジオ体操となりました。
嶋村会長は「一生懸命頑張った参加者全員に毎週金曜日に素敵な賞品を渡したいと思います。」、また、「子どもと地域の皆さんとの交流の場になる事を望んでいます。」と話しました。
参加者は清々しい気持ちで会場を後にしました。
(文・写真:長畑)
[ 2014年7月26日 ]
倉安川排水機場のポンプ増設工事
富山学区を東西に流れる倉安川。(西の)平井と(東の)中川町には、各々排水機場が設置されています。
〔経緯〕
倉安川排水機場は、倉安川の内水氾濫を防ぎ、周辺地域の住宅浸水被害の軽減を図る目的で、平成12年3月にポンプ2.5m3/s(1.25m3/s×2台)を設備して完成しました。
それから15年・・・、未だ解決しない山崎・円山地区の住宅浸水被害に対応し、岡山市は倉安川の川底を掘り下げて水の流量をアップさせ、国土交通省は平井排水機場と倉安川排水機場のポンプを増設し、東西の排水処理能力を倍増させることになりました。
岡山市の構想では、『倉安川の排水能力を上げ(浸水被害の多発する)山崎・円山地区の用水路から溢れた水を倉安川へ汲み上げ、浸水被害を食い止める』ことを目指し、そのための揚水ポンプ3台(福泊地内に1台と山崎地内に2台)を常設しています。
【倉安川排水機場】 | 【平井排水機場】 | 摘要 | |
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工事期間 | 2012/09 〜 2014/06 | 〜 2012/03 | ― |
増設前の能力 | 毎秒2.5m3 | 毎秒4.0m3 | 合わせて毎秒6.5m3 |
↓ | ↓ | ↓ | ↓ |
増設後の能力 | 毎秒5.0m3 | 毎秒8.0m3 | 合わせて毎秒13.0m3 |
工事費用(増設分) | 約4.4億円 | 約6.3億円 | 合わせて10.7億円 |
工事前の全景と吸水口です。
2012/09 基礎工事が始まりました。
2013/02 重機を据えて地盤の掘削が行われています。
2013/08 吸水口となる地下を掘り下げています。
2013/09 更にその下に基礎杭の穴が数ヶ所開いています。
2013/10 地下部分の骨組が出来上がって、コンクリート打ちが始まります。
2013/11 地上部分も次第に姿を現してきます。
2013/11中旬 足場も外され、回りも埋め戻しされています。
2014/04上 ポンプ設備が姿を現しました。
倉安川からの水路も完成間近です。
2014/05 吸水口へ除塵機が設置され、建屋の完成も近くなりました。
2014/06 工事用の囲いが撤去され、倉安川から新設の吸水口へ水が流入しています。
2014/07 地面はアスファルト舗装され、フェンスも刷新されて完成です。
<完成式の様子はこちらをご覧ください。>
【関連ページ】 ニューストピックス(2014年7月26日)
出典:「旭川総合内水対策事業(旭川水系)」国土交通省岡山河川事務所, 平成26年4月20日
(『とみやま五十三景探訪(#1)』での排水機場見学会での配付資料)
【関連ページ】 ニューストピックス(2014年4月20日)
参考資料:国土交通省岡山河川事務所のWebページへ↓
http://www.cgr.mlit.go.jp/okakawa/jimusho/ansinkurasi/kouzui/ji_ko_p1.htm
(文・写真:太田)
[ 2014年7月18日 ]
『イノシシ』に間違えられた捕獲劇のペット子豚が大人の豚に成長
岡山市中区海吉には、家族と一緒に暮らしている雄の豚がいます。名前は「山田」君と言います。平成24年6月に生まれたばかりの子豚を、現在の飼い主さんの娘さんがペットとして購入し世話をしていました。その後、子豚が体調を壊したため、娘さんから引き取って面倒を見ています。
子豚の体長は約40センチ、体重が4〜5キロで愛嬌がありおとなしい性格でした。子豚のころは、玄関土間にケージを置きその中で面倒を見ていました。時には犬や猫と遊ぶのと同じように玄関土間でじゃれ合うなどしながら夫婦で楽しく世話をしていました。
子豚と一緒に暮らし始めて間もない平成24年8月30日の午前9時過ぎ、「山田」君が飼い主の家から飛び出したため、捕獲劇の始まりとなりました。近所の人が「イノシシが徘徊している」との110番通報をしたことから、岡山中央警察署のパトカー3台と警察官が駆けつけました。「親イノシシも一緒にて凶暴化したら危険」と刃物などから手を守る「耐刃手袋」を着装し、飼い主宅周辺を走り廻り「イノシシ」捕獲の捕獲劇となりました。
奮闘劇が始まって30〜40分して警察官が「イノシシ」を捕獲しましたが、よくよく見るとかわいい「子豚」であることが分りました。子豚は泥まみれで「ギーギー」元気な鳴き声を上げながら飼い主の元に戻り、一件落着となりました。
この捕獲劇の一部始終が産経新聞をはじめ地元紙に掲載されるなど一躍街の人気者ならぬ「人気子豚」になりました。その後、子豚は『110番の日』などのイベントに出演して警察活動に協力しています。
捕獲劇があって以来、子豚は成長し今では、体長約80センチ、体重約25キロの巨体になり、畑の隅に植えられた桃の木の下に繋がれています。時々桃を捕って食べるとか。食べ物に好き嫌いはないそうです。ブロッコリーの茎や葉を前足で押さえバリバリ音を立てながら勢いよく食べる姿は豪快でした。
飼い主さんは「愛嬌があり可愛いです。一緒にいて楽しいです」と笑顔で答えてくれました。今も子豚のころと同じように近所の人から可愛がられており「山田」君の人気は衰えていませんでした。
(文・写真:長畑)
[ 2014年7月6日 ]
七夕飾りの記憶
学区内ではあまり見られなくなった七夕飾りが、福泊の富山コミュニティハウスの玄関に今年も利用者のみなさんで飾られました。
当地では旧暦でしょうか8月の行事でしたが、夏休みの朝早く起こされて田んぼに行き、稲の葉の露をお盆で集めて持ち帰り、それで墨をすって「よくべんきょうができますように」などと短冊に書いた幼い日の記憶があります。
昨今では、家庭では七夕飾りをする家は殆どなくなり、夢もロマンもなくなっていく世情を淋しく思います。
(文:小野田・薄、写真:薄)
[ 2014年7月6日 ]
昔ながらの田植え
近年は農作業も機械化され、めったに手植え風景は見られなくなりましたが、梅雨の中休みだった6月22日(日)、本村町内にある2畝足らずの休耕田で、本村・中村町内会有志18名による人力による田植えを行いました。子どもの頃に手伝って以来の人や、生涯で初めてという人などが殆どで、世話役の農家の方の指導により、泥だらけになりながら田植え綱を使っての手植えに挑戦しました。
この稲は富山学区コミュニティ協議会で計画されている年末の「正月飾り作り」用の稲藁を取るためのもので、背丈の高い「朝日米」の苗を植え、穂が出る前の8月に刈り取り、乾燥させて年末を待つ予定です。
【関連ページ】 とみやま点描「正月飾り作り講習会」
(文・写真:横地)
[ 2014年6月24日 ]
取り付けられた「海抜表示シート」
岡山市(消防局危機管理課)では、東日本大震災を踏まえた津波対策として、市南部を中心に海抜表示シート(平たい壁や塀にはプレート)を3年間で約1600箇所に設けることとなり、富山学区でも3月から4月にかけて平地の住宅地域を重点に49箇所に取付けを終えました。
市に取付け作業を一任する学区・地区もあるようですが、富山学区の場合は「津波と防災に対する認識を確たるものとする」ため、各町内会長がみずから取り付けて回ってくださいました。
海抜表示シート(プレート)には「ここの地盤は海抜1.2m」などと書かれていますが、海抜とは「東京湾の年間の平均水位」だそうで、学区内の取付け場所のうち、低いところは海抜0.5mと0.6mが各1箇所、0.7mが2箇所などといった状況です。
岡山市作成の津波ハザードマップ(H25年8月)をみる限りでは、富山学区の大部分の地域の浸水想定は0m(海吉福吉の一部が0.3m〜1.0m)ですが、洪水ハザードマップ(H25年8月)によれば富山学区全域が1.0〜2.0m、海吉地区では2.0〜5.0mとなっており決して油断はできません。
(文・写真:小野田)
[ 2014年5月2日 ]
クリスマスローズに魅せられて
岡山市中区海吉に居住の女性がクリスマスローズを育てています。庭には赤や紫、黄、白色など色とりどりの花が咲いていました。女性のクリスマスローズにかける思いと花の魅力を紹介します。
庭には、クリスマスローズの鉢が整然と並べられていました。女性が、棚に置かれたクリスマスローズの鉢を手に取りながら「色々花を育てても上手く行かずあれこれ思い悩んでいたところ友達の勧めもありクリスマスローズを育てたのが始まりです」とクリスマスローズと出会った当時のことを懐かしそうに話しました。
「クリスマスローズを育て始めてから10年が経ち今では300鉢を越えました。庭が、クリスマスローズの鉢でいっぱいです。花はそれぞれ花色や花形が違います。咲いた花姿を見ていると心が癒されます」などと花を指差しながらクリスマスローズの魅力を熱っぽく話してくれました。
「クリスマスローズは冬から早春にかけて庭を飾ってくれます。また、病害虫にも強く育てやすい花です」と育て方や管理の方法などについて説明する姿は生き生きとしており魅力的でした。
これからも清楚な中に華麗に咲く花を咲かせ続けて下さい。楽しみにしています。
(文・写真:長畑)
[ 2014年3月17日 ]
手作りのクリスマスリースに思いを込めて
福泊にお住いでリース作りの得意な女性を紹介します。この女性は、昭和48年頃から約40年の間、手作りのクリスマスリースなどを作り続けています。今では、クリスマスが近づくと町内外の子供さんや奥さん、お年寄りなどから「かわいいクリスマスリースを作ってください。楽しみにしています」などと声が掛かるそうです。
このため、クリスマス時期になると一人で山や河川敷などに出かけ、ツリーの材料集めに奔走する毎日だそうです。「クリスマスを楽しみに待っている子供さんやお年寄りに、喜んでもらえてうれしいです」と話す笑顔が素敵な女性です。
リースは部屋に飾られており、楽譜や音符、トーン記号をかたどったもので、ナンキンハゼの茎や実(白色の実を赤い絵の具で塗りニスで仕上げたもの)を使って作られており、素材の良さを生かした作品に仕上げられていました。また、ドーナツ型のリースは、スモークツリーの花を使って作ったもので温かさが感じられました。
このほかにも、アンティークプレートに木の実などを飾りつけたリースが部屋に飾られていました。
今年も良いクリスマスが迎えられますように・・・
(文・写真:長畑)
[ 2013年12月7日 ]
倉安川護岸改修工事〔平成24年度〕
富山学区内の山崎地区では、前回(平成22年度)の改修個所から西方向に向けて円山川との合流地点までの で護岸改修が行われています。工期は平成24年12月〜平成25年7月末の予定です。
写真 (1) |
前回の改修状況 【関連ページ】 とみやま点描(倉安川改修工事) |
写真 (2) | |
まず、川を埋め立てて重機を入れます。 | 北岸の道を削って矢板を打っていきます。 |
この辺りは、南北両側とも道幅が狭いので、川を埋め立てて重機を据えるスペースを設けます。
矢板から岸(石積み)までを埋め戻しています。 | 役所の話では、川幅自体に変更はない様です。 |
4月に入ると護岸も西の方まで | 出来上がってきました。 |
写真 (3) | |
5月になると、山崎公会堂前の橋が新調され | 護岸も円山川合流地点まで到達しました。 |
6月になると、埋め立て土は撤去され | 川底も石がなくなり以前よりは綺麗に・・・・。 |
残るは、路肩と道路整備工事です。 |
中区役所の話によると総工費4,300万円とのことでした。
改修前と改修後を写真で比較してみます。改修前の写真は、山崎本町町内会の橋本武男氏より提供していただきました。
写真 (4) | |
改修前 東方向に向かっての景色が | 改修後 この様になりました。 |
写真 (5) | |
改修前 西方向に向かっての景色が | 改修後 この様になりました。 |
路肩は嵩上げされて、通行車両の転落防止には役立ちそうです。嵩上げされたコンクリートの下には、道路の雨水を逃がすための穴が開けられています。
(文・写真:太田)
[ 2013年7月14日 ]
百間川河川敷の護岸工事
(注) | 同じような工事は、同時に左岸の河川敷でも行われました。この記事は主として海吉橋以南〜海吉ゲートボール場間の右岸の工事について記述してありますが、左岸の工事状況についても末尾に写真で紹介しています。 記事は、平成25年6月現在で記述してあります。 |
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富山学区の東端には南北に百間川がゆったり流れ児島湾に注いでいます。
河川敷には家族が憩い、ジョギングやウォーキングを楽しむ人の姿が見られる憩いの広場になっています。また川面には野鳥が羽を休めています。
しかし、過去には梅雨期の長雨や台風による大雨で河川が氾濫し、幾度となく堤防が決壊し濁流が付近の田畑や人家に流れ込むなど大きな被害が出ています。このため、これまで幾度となく河川改修工事が行われています。
今回の工事は、増水した水から河川敷や堤防法面の浸食を守るため、平成24年12月初旬から、河川敷に低水護岸を設置する工事を行い、平成25年6月初旬 低水護岸工事の一部を残し完成しました。
なお、高水護岸についても今秋には着工する予定になっています。
百間川河川敷断面図
(右岸下流から上流を望む)
河川敷の様子や低水護岸工事の状況については写真を参考にして下さい。
今回の低水護岸工事と樋門放水路工事の概要は次のようなものでした。
工事期間
平成24年12月初旬から平成25年6月初旬工事区間
海吉橋西岸下流〜大仙樋門〜海吉クラブ(ゲートボール場)までの約580メートルの低水護岸及び大仙樋門放水路
工事内容
海吉橋直下の既存護岸の延長線上に幅 約2メートル、深さ60〜100センチの溝を南に向かって海吉クラブ(ゲートボール場)まで掘削しました。
溝の中央に鋼矢板(幅90センチ、長さ10.5メートル)約640枚を地中に打ち込みました。
海吉橋南から大仙樋門までの約260メートルでは、打ち込んだ鋼矢板をコンクリートで固めその上に笠コンクリート(幅70センチ、高さ60センチ、長さ200センチ)約130個を設置しました。
笠コンクリートの中にコンクリートを流し込み鋼矢板と一体にして固定、笠コンクリートの周りを土で固め低水護岸工事を完成しました。
大仙樋門放水路の護岸工事は、コンクリートブロックを重ね放水路を拡張しました。
使用重機
溝掘り等土の掘削、笠コンクリート設置
バックホウ鋼矢板の打ち込み
ラフタークレーン、油圧バイブロハンマ
今秋の工事予定
今回の低水護岸工事では、工期の関係で笠コンクリートの施工が未完成の区間(大仙樋門から南、海吉クラブまでの間)がありますが、今秋には施行予定です。
また、今秋には、高水護岸工事(海吉橋から大仙樋門の南100メートルまでの約450メートルの区間)に着手する予定になっています。
その他
今回、工事現場を掘削したところ、土が崩れるなど地盤が軟弱なことが判明し、コンクリートブロックの使用が不可能なことから、同様の機能を有した鋼矢板と笠コンクリートを使用した工法に変更になりました。
海吉地区以外にも米田・神下・兼基地区などでも同様の護岸工事が行われており、本年6月末に完成予定です。
今回の低水護岸工事では、一見して河川敷が様変わりした様子は見られません。工事前と変わらぬ景観が戻ってくるまで、それほど時間はかからないと思います。
河川敷には、四季を彩る草花(コマツヨイグサ、ノイバラ、ブタナなど)が数多く自生しています。
百間川流域の住民を洪水等の災害から守るための低水護岸工事や高水護岸工事が完了すれば、河川敷や堤防の強度が増し、地域住民の安全と安心が一層高まると思います。
一日も早い完成を望むとともに、災害に強い河川の構築を願っています。
おわりに、今回の取材で国土交通省岡山河川事務所をはじめ、工事関係者や多くの皆様に協力をいただきました。ありがとうございました。
※ | 今秋着工予定の高水護岸工事についても順次取材を行う予定です。 |
※ | 鋼矢板とは、護岸工事、土留めや耐震補強等、建設工事に幅広く使われており、両端に継手がついている波形の鉄板のことです。 |
※ | 笠コンクリートとは、鋼矢板の上部を保護するための枡状のコンクリート製の二次製品です。 |
右岸・百間川河川敷の様子と護岸工事(低水護岸)状況
オムロン岡山 東から海吉橋を望む | 海吉橋南から大仙樋門を望む |
オムロン岡山 東の河川敷 | オムロン岡山 東の河川敷 |
オムロン岡山 東の河川敷 | 護岸工事を知らせる看板 |
護岸工事を知らせる看板 | 海吉クラブ(ゲートボール場)と河川敷 |
草が刈り取られた河川敷 | 草が刈り取られた河川敷 |
海吉クラブ(ゲートボール場)・現場工事事務所 | 現場工事事務所 |
大仙樋門放水路工事 | 大仙樋門放水路工事 |
大仙樋門放水路工事 | 大仙樋門周辺の河川敷 |
大仙樋門放水路完成 | 河川敷内に設けられた仮設道路 |
河川敷に掘られた溝 | 鋼矢板の打ち込み |
鋼矢板 | 鋼矢板の打ち込み |
鋼矢板の打ち込み | 打ち込まれた鋼矢板 |
海吉橋南 打ち込まれた鋼矢板 | 打ち込まれた鋼矢板 |
鋼矢板の結合 | 笠コンクリート |
笠コンクリートを基礎の上に並べる | 笠コンクリートの接合 |
鋼矢板をコンクリートで固定 | 笠コンクリートと鋼矢板 |
笠コンクリートにコンクリートを注入 | 笠コンククリートを土で固める |
鋼矢板を土で覆う | 笠コンクリートを土で固める |
笠コンクリートを土で固める | 海吉橋南 低水護岸の様子 |
オムロン岡山の東 低水護岸の様子 | オムロン岡山の東 低水護岸の様子 |
大仙樋門放水路護岸の完成 | 海吉橋南の土手から低水護岸を望む |
大仙樋門と完成した放水路 | オムロン岡山の東の土手から低水護岸を望む |
左岸・百間川河川敷に完成した低水護岸の様子
海吉橋東詰河川敷の様子 | 海吉橋上流部河川敷の様子 |
海吉橋下流部河川敷の様子 | 海吉橋下流部の低水護岸南端 |
海吉橋下流部の低水護岸 | 海吉橋上流部の低水護岸 |
中川排水樋管の放水路護岸 | 中川排水樋管の放水路護岸 |
中川排水樋管と放水路護岸 | 鋼矢板と笠コンクリートの低水護岸 |
海吉橋上流部の低水護岸 | 低水護岸の北端から海吉橋を望む |
(文・写真:長畑)
[ 2013年7月4日 ]
倉安川川床改修工事に伴う生態系への側面
平成24年度から倉安川の川床改修工事が始まり、両岸も川底もコンクリートとなりつつあります。
護岸改修(平成12年頃)以前は、岸には栴檀や無花果などの樹木が植えられ、川にはシジミ、タニシ、カラス貝、ザリガニ、ドジョウ、鮒、鯉、雷魚‥色々な魚貝が生息し、それらを求めてサギやカワウなど鳥達も集まっていました。 また、百間川から来た鴨も優雅に泳いでいました。
護岸改修前 | 護岸改修後 |
護岸工事が進み、木は取り除かれ、川に降りる階段〔カワイチ〕は無くなりました。今回の川床改修〔コンクリート敷き〕により、土は無くなり、これらの生物はこの川から去っていくことになるかもしれません。
周辺に田んぼの残る地域では、夏の注水期には生息の場もありますが、秋冬にはそれもありません。
サギが餌を求めて |
優雅に泳ぐ鴨 |
地域住民の一人として、川の生物の状況についても注視していきたいと思っています。
平成24年度、岡山市の政策提言で、倉安川については、『治水安全度を向上させ、時代の要請に応えた 地域住民に親しめる川造りを推進する』とあります。
護岸によって、川岸の植物は姿を消し生えることすら許されない。川底はコンクリート敷きで、川の中では生き物も住めくなり、それらを餌と狙ってくる鳥達も近づきません。水深も1m強深くなり、人が誤って川に落ちると危険なのでガードレールが設備され、ますます人間も近づけない(利用出来ない)状況になるのが川の運命でしょうか?
何億円も費やして改修してきた結果、(大都会のように)川に蓋がされ道路にならないことを祈りたいものです。
(文:太田、写真:太田・小野田)
[ 2013年6月24日 ]
麦秋の風景
富山学区内では珍しい『麦秋』の風景が、海吉本村中村地区で見ることが出来ます。
この辺りの冬場は、昭和40年代頃まではイ草(岡山ではゆと言います)の植え付けが盛んでしたが、時代ととも(夏場の)稲作だけになってしまいました。
今回は、委託を受けた方が麦の作付をされ、見事に育ってきました。
4月頃には緑一色なのが |
5月上旬から色づき始め |
5月末には見事な麦色に・・・ |
これが麦の穂 髭が長いビール麦 |
6月に入ると、刈り取りを待つだけとなります。
(文・写真:太田)
[ 2013年6月2日 ]
倉安川川床改修工事〔平成24年度〕
富山学区に東西に横たわる倉安川の改修工事は、集中豪雨時における山崎及び福泊地内の住宅地への浸水対策を目的として、平成元年ごろから順次行われています。
(参考) 岡山市立富山公民館のWebサイト(別ウィンドウで表示します)
眼目は二つで、その1は倉安川排水機場ポンプの排水能力アップ(現在の毎秒2.5トンを、毎秒5トンに)であり、その2は排水機場に至る流路の流断面積のアップです。
排水能力が向上しても、そこに至る水の疎通がわるいとポンプは空気を吸って自動停止してしまうので、流路の流断面積のアップ、即ち、川底を掘り下げることになるのですが、単位時間当たり大量の水を通すとなると、やはりそれなりの堅確な護岸が必要になります。
そのような背景の下、平成24年度における岡山市による富山学区地内の倉安川改修工事は、昨年度に引き続いて護岸改修が山崎地内で、また、河床改修工事が海吉地内で行われました。
このように、国交省や岡山市としては、まず第一段階は護岸工事、第二段階は河床改修(川底を掘り下げて三方コンクリート化する)工事、そして第三段階として円山地内の用水路(現在は3箇所のサイホン経由で倉安川と立体交差して南の方へ放水し、倉安川以南の住宅地浸水の原因となっている)に溢れる水も倉安川に放流し、長年の懸案である住宅地の浸水問題の解消・・・、という構図を描いています。
(参考) 旭川総合内水対策協議会のWebサイト(別ウィンドウで表示します)
以下にご紹介するのは、平成24年度の海吉(本村〜中村〜出村)地区における用水期による工事中断までの工事状況写真です。
もっこと手鍬で倉安川開削を成し遂げた津田永忠が生きていたら、はたして何と言うでしょうか?
海面橋付近 | 本村橋付近 | 本村と中村の境界付近 |
中村橋付近 | 本村橋付近 工事後 | 陽光橋付近 工事後 |
丸の内橋付近 | 丸端橋付近 | 内田俊郎邸付近 |
亀池正富邸付近 | 丸端橋から内田邸を望む | 工事後 全ては水の中 |
倉安川河床改修工事区間別工法断面図
なお、今年度の工費は約1億円でした。
(文:小野田、写真:太田)
[ 2013年5月20日 ]
ちょっと珍しい春の装い
春の装いと言えば、まず桜が思い起こされます。
一般的には5つの花びらから成る花を咲かせるソメイヨシノが有名ですが、1つの花にたくさんの花びらをつける八重咲きの桜も、多くの種類があります。
そのような八重咲きの桜の1種が、福泊町内にもあります。そして珍しいことに、この桜の木では、一本の枝から白い花とピンクの花が咲くのです。
残念ながら桜の木の持ち主も品種の名前は分からないので、ご存じの方がいらっしゃればご一報ください。
また、宅地化が進みつつある富山学区にあって意外に思われるかもしれませんが、海吉町内には桃畑があります。
丹精込めて育てている桃は清水白桃で、毎年この時期にきれいな花を咲かせてくれるとのことでした。
(文・写真:前坂、長畑)
[ 2013年4月30日 ]
“老いも若きもラジオ体操”がある光景
山崎本町の老人クラブ「ハッピークラブ」(三好一郎会長)では、「健康が第一」との思いから、7月1日からラジオ体操を始めました。
夏休みに入って町内の子どもたちにも呼びかけたところ、7月23日からは土・日を除く毎朝6時30分近くになると、就学前の幼児やその保護者、そして大勢の小学生たちが町内の広場に集まってきます。
おじいちゃんたちの指導でイチ、ニ、サン! |
ざっと数えてみると、元気いっぱいの高齢者が18人、小学生が40人、それに幼児が20人といった有様で、前に出て指導するお爺ちゃん・お婆ちゃんの動作に合わせて、お孫さん年代の子どもたちが一所懸命に体操する光景はまことに微笑ましくもあり、実に見事です。
ちびっこたちは屋内でイチ、ン、サン! |
1年生以下の小さい子は公会堂の中でイチ、ニ、サン・・・。前に出て指導するのはここでも元気はつらつのお婆ちゃん・・・と言ったあんばいです。
夏休みに子ども会が行うラジオ体操は定番ですが、山崎本町町内会のラジオ体操は老人クラブが主催、とは言いながら町内の子どもたち(この町内会には、いわゆる「子ども会」はありません)が数の上では主役になっていて、期せずして老〜幼世代の明るい絆づくりが、朝のさわやかな空気のなかで育まれているようでした。
この老人クラブ主催の朝の体操会は、新学期が始まっても高齢者と有志で続けることにしているそうです。
(文・写真:小野田)
[ 2012年7月31日 ]
海吉福吉緑地公園に御影石のベンチを設置
三角公園(通称)、正式名称は海吉福吉緑地公園という春は桜の美しい公園が、海吉福吉町内会地内(百間川右岸堤防下段道路沿い)にあります。
平成24年6月23日、この公園に御影石(ミカゲイシ、正式名称は花崗岩)製のベンチ6か所が設置されました。
この御影石は、海吉福吉町内の老朽化した旧家の納屋や土蔵を解体したところ、土蔵の土台の部分に使用されていたもので、長さ255センチ、一辺が32センチ角のものほか数十個が出てきました。
重さは、100キロ位から800キロ位の石まで様々です。
古老によれば、この石は百年以上前の物で、紛れもない国産の御影石だそうです。
町内会役員(芸術家?)が検討中 |
この石を貰い受けた海吉福吉町内会の自称“芸術家”たちが集まり、石の大・小の組み合わせ、角度、配置場所について検討を重ねた結果、業者の協力を得て自然のままの御影石を使った「芸術的」なベンチが大小合わせ6箇所にできあがりました。
造園業者によれば、近隣の公園でこれほど立派な御影石を使ってのベンチを設置している公園はないとのことです。
ベンチの設置にあたっては、もともと公園にあるブランコや滑り台などの遊具、桜の木やサザンカなどの植生とのバランスに配意するとともに、老若男女誰でもが心が休まりくつろげる空間の創出に配慮されています。
今までとは全く違う雰囲気の公園に生まれ変わったこの御影石のベンチに腰かけ、ゆっくりと読書や物思いに耽ってみては如何でしょうか。
芸術的な御影石のベンチのある公園に、ぜひ一度お出かけください。
(文・写真:長畑)
[ 2012年6月29日 ]
65年ぶりに姿を現した海吉福吉町内会の消防ポンプ
平成24年5月末、海吉福吉町内会で最も古い民家が老朽化したことから取り壊しになり、この民家の納屋から65年ぶりに海吉福吉町内会が使っていた消防ポンプが姿を現しました。
このポンプは、ゴミやほこりをかぶっており無残な姿でしたが、町内会の有志で水洗いをしたところ、汚れもすっかり落ち、壊れたところもほとんどなく、昔の面影をしっかり残した消防ポンプの勇姿が蘇っています。
古老によれば、村内の部落単位(本村、中村、出村、福吉、福泊、山崎、円山、嶽、湊)ごとに自衛消防組があり、それぞれに消防団がいて消防ポンプも装備していたそうで、現在でも海吉本村の倉庫にはフォード製のエンジンポンプがあるそうです。
ここでは、この度半世紀余の眠りから覚めた「富山村福吉消防組」の消防ポンプとそれにまつわるエピソードを紹介しましょう。
1 購入時期及び金額等
大正15年5月に購入していますが、購入金額は不明です。
2 形状等
全長 エンジン部分から手持ち部分まで 220センチ
全幅 90センチ エンジン 幅 50センチ 高さ 70センチ
3 消防ポンプのエンジン、製造元等
ポンプの後ろ側 中央下部がクランクハンドル |
(1)エンジン等について
ガソリン仕様の4サイクルエンジンと思われ、円筒形の給油タンクがエンジンの上部に設置されていますが、排気量は不明です。
エンジンを始動させるためには、人がクランクを回転させる方式になっています。
エンジンの前部にはローマ字で「MORITA OSAKA」(他の銘板からして大阪の「森田製作所」と目される)のプレートが貼り付けられており、銘板には製造年月は大正15年5月と刻印されています。
エンジンの底部に吸水口、側面には放水口が備え付けられています。
エンジンはかかりそうにありませんが、部品を交換しようにももはやどうにもならないことです。
(2)エンジン上部及び側面の状況
「富山村福吉消防組」の金文字 |
エンジンは鉄板で覆われており、エンジン横の部分は赤く塗られた木製のカバーがボデーとなっていて、側面には金色文字で「富山村福吉消防組」、黒色文字で「大正15年5月新調」と書かれています。
ポンプには、
専売特許森田式ウエアレスポンプ
第六五二八号・第二七〇一九号
大阪 株式会社 森田製作所 東京
と記載された銘板が貼り付けられています。
(3)車輪及び移動するための手持ち部分
車力、駅馬車時代を彷彿とさせる車輪 |
木製のリムに鉄製のリングを装着した直径77センチの車輪2個を使用しています。
折り畳み式の木製の把手 |
ポンプを移動させるための手持ち部分は木製で先端がT字形になっていて、人力で前を引き、後ろを押して移動させる方式のものです。
4 消防ポンプの出動と活躍
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昭和18年頃、大阪空襲に伴いこのポンプを大阪に貸し出しています。
貸し出しの際には、関係者がポンプを受け取りに来て、また、終戦後このポンプが返還されるときには、岡山駅まで引き取りに行ったそうです。
当時は、道路事情が悪く舗装もされておらず、東山峠の山越えの道で消防ポンプが引っくり返りそうになったり、前にも後ろにも動かなくなり立ち往生を繰り返したりしながら、やっとの思いで海吉福吉町内まで引っ張って帰ってきたそうです。
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昭和22年頃、海吉出村地内で民家火災があり、その消火活動のためにこの福吉消防組のポンプが出動して活躍しましたが、この出動を最後に現役から退いていました。
往時を懐かしむ老人、消防自動車しか知らない若者・・・、思いはこもごもだ。 |
(文・写真:長畑)
[ 2012年6月8日 ]
富山幼稚園の丸ポスト
富山幼稚園に通うお子さんやお孫さんのおられる方はご存知でしょうが、園庭西側に懐かしい円筒形の赤い丸ポストがぽつんと佇み、楽しそうに遊ぶ園児を見守っています。
水野園長や先生方にお尋ねすると「新型ポストの登場で使われなくなったものを、平成の初め頃、市の教育委員会の口利きで当時の郵政省から(幼児教育の一環として?)譲り受け設置したものらしい」とのことでした。
これは「郵便差出箱1号(丸型)」といわれるもので、昭和24年に登場し、同47年に出現した後継の「郵便差出箱1号(角型)」がとって代わるまでの20数年間街角で見かけられた、昭和世代の人々には懐かしい風物の一つです。
一度ボランティアの方々の手で色を塗り直したそうで、現役時代より少しピンク色がかって見えます。
近い将来、富山幼稚園に入園した子どもさんが「ママ、これな〜に?」と尋ねても若いお母さんたちには答えられない、そんな時代がもうそこまで来ているようです。
(文・写真:横地)
[ 2012年1月27日 ]
松並木の剪定
平成23年10月、曹源寺参道にある松並木の剪定作業が、「曹源寺周辺の環境を守る会」(会長:堀口 宗彦 曹源寺副住職)と「松風会」(円山境内の老人クラブ、会長:大江 基茂)の有志8名、それに曹源寺から3名の修行僧の協力も得て行われました。
剪定作業は、武野 篤・松岡成好の両氏が高齢をものとせずに樹高12mに及ぶ松の木に登って行い、整枝された参道は見違えるように明るくなりました。
曹源寺参道には、創建時からその両路側約200メートルに雄松が植えられ、現在では105本の松並木になっていて、県下でも珍しく県の郷土記念物に指定されています。
11月6日は、曹源寺の「開山忌」で大勢の参詣者が訪れ、また、「富山文化まつり」の開催日ともあって、訪れた学区内外の方々にはよい印象もって富山の名勝を楽しんでいただけたものと思います。
剪定前 |
剪定後 |
(文・写真:吉田)
[ 2011年11月13日 ]
倉安川改修工事
富山学区内の倉安川改修は、昨年に続き山崎地内の橋架け替えと周辺護岸改修及び円山・山崎地内の伏せ越し(残る2箇所の内1箇所)の2箇所が岡山市により行われました。
改修前 |
橋架け替えは銀樋(神崎立川取水樋門)西の橋(橋名なし)で、上道郡倉安川絵図にはこの場所に橋はなくその後架けられたものと思われます。
古老によれば幅員の狭い石橋を改修前のコンクリート橋(写真左)に架け替え、住宅化に伴う緊急車両通行の安全性等から昭和50年代半ばにコーナー部の拡幅を行ったそうです。
改修後 |
今回の架け替えは河積(川の横断面において、計画高水位以下の河川流水断面積)を確保するために行うもので、現場施工条件及びスラブ厚軽減からボックスカルバートを採用した二等橋(TL-14)で、幅員は架け替え前の3.5mから5.7mに拡幅され、路面は既設より約40cm高くなっています。写真右のように地覆は化粧型枠で仕上げブラウン色の高欄を取り付けた優美な橋となりました。
工事費は橋及び石積み護岸等々周辺関連工事を併せて3,300万円です。
改修前の樋管 |
今回改修される伏せ越しは、円山橋(円山自動車学校入口バス停南の倉安川に架かる橋)西に位置し、上道郡倉安川絵図には『底樋』と記載されており、近辺の地盤高の関係から倉安川築造時に設置されたものと推測されます。写真左のように改修前の樋管は木製で両側と中央部を柱で支えた構造でした。
筆者は、これを見る度に幼い頃長老の指示で藁束を持って樋管の掃除をしたことを思い出します。
3箇所ある伏せ越しの中で一番断面が大きく内寸法が幅1.5m×高0.9mあり、円山橋以西嶽まで操山を含めた区域の雨水等がこの樋管に流下します。流入・流出側水路の関係から同じ位置に施工され、形状は昨年施工された伏せ越しとほぼ同形で、樋管は内寸法幅1.5m×高0.9mボックスカルバートのプレキャスト製品を10個(写真右)現場で接続したものです。
改修中の樋管部 |
また、将来用として内水路から倉安川に600mmのバイパス管を新たに設けています。
主な現場工事は平成23(2011)年2月9日岡山市教育委員会文化財課の現地調査以降、既設構造物撤去・埋戻し・矢板圧入・底盤改良・掘削・樋管樋門バイパス設置・埋戻し・矢板引抜き・護岸復旧・周辺関連工事及び舗装と約160日を要しました。
工事費は4,700万円で行われています。
【関連ページ】 とみやま点描(倉安川の伏せ越し改修)
(文・写真:橋本)
[ 2011年7月27日 ]
酷暑にたくましい「ひまわり」の花
富山小学校前のバス停の20メートルばかり西に30本ばかりの立派なひまわりが育っていて、大輪の花を咲かせています。
県道沿いに、これと並走する用水との間の幅1メートルほどの約16平方メートルの空き地に植えられたひまわりは見事に成長し、根元近くの茎は直系が5センチ以上、背丈は優に3メートルを超えるのもあって、花径も30センチ超のものもあります。
根元にはコスモスが楚々と咲いていて、絶妙な取り合わせが道行く人の心を和ませてくれます。
いつもは雑草に覆われるこの場所で、見事なひまわりを育てたのは「とみやまエコクラブ」<「グループ紹介」参照>のみなさんで、4月25日に種を蒔き近くに住む会員の吉田節雄さんが中心になって手入れを重ねてきたものです。
吉田さんは、「とみやまエコクラブ」のほか、「富山の自然を楽しむ会」や民生児童委員としても活躍する一方、以前から火箸とごみ袋を片手に居住地周辺のごみを拾って歩く姿がよく見受けられ、学区民の称賛の的となっている方でもあります。
まだまだ続く暑い夏・・・、鮮やかに咲いたひまわりの花は、近くの小学校や幼稚園の子どもたちに、「暑さに負けず、頑張ろうね」と語りかけているようです。 吉田さんによれば、「この花が終わった後は種を採取し、”知恵の輪事務局”(倉敷市笹沖)に届けて福島県に送り、農地でひまわりを栽培し放射線物質除去に使用していただく予定」だそうです。
ひまわりで福島の農地を再生!!
土壌の放射線物質を根から吸収する能力がいくつかの植物にあり、中でもひまわりの吸収率が高く、最も高危険性がなくなるまで30年以上かかる土壌の放射線物質をわずか20日で95%以上も除去できたという結果が出ている。
※ 「知恵の輪事務局」資料より (別ウィンドウに表示します)
(文:小野田、写真:薄)
[ 2011年7月20日 ]
福泊の地蔵盆
8月23日夕、学区内のあちこちで地蔵盆(地蔵祭り)が賑やかなうちにもしめやかに執り行われました。
今回は、福泊の地蔵盆を紹介します。
福泊バス停脇にある地蔵堂には灯りがともされ、周囲には初盆の家から奉納されたものを含めて盆提灯30余灯が飾り付けられて、三々五々集まってきた町民がお堂の前に着席すると、午後7時から町内会長の挨拶と、この1年に亡くなった19人の新仏さまの紹介があり、続いて先達を務める石井長老の読経で祭儀が行われました。
福泊の地蔵盆は町内会の文化部が主宰して行われ、参拝者も大人が20数人、子どもが10人足らずといった状況でした。
富山学区で地蔵盆が行われているのは今回取材〜紹介した福泊のほか、海吉本村・中村・出村ぐらいのようで(福吉は「昨年まではしていたが・・・」とのこと)、町内会主導でしていたり子ども会の伝統行事であったりと、内容はまちまちのようです。
(文・写真:小野田)
[ 2010年8月24日 ]
輪くぐり祭
石高神社にて |
富山学区内では石高神社が7月31日夜、吉備津岡辛木神社が7月31日と8月1日午前、それぞれに「夏越しの祓い“輪くぐり祭”」が行われました。
神社の随身門には直径2メートルほどの茅の輪が取り付けられ、「罪穢れを除き、日々の生活を振り返り、心身を清めてまた新しい明日を強く正しく生きようと」「いろいろな罪穢れを祓い清めるとともに、疫病から身を守り、傷病平癒を祈願」(前者は吉備津岡辛木神社の案内状、後者は石高神社のHPより抜粋)する善男善女が三々五々お詣りしていました。
吉備津岡辛木神社にて |
(文:小野田、写真:小野田・薄)
[ 2010年8月2日 ]
命を落としかねない用水の落とし穴
富山幼稚園の西(福泊地内)の用水上に、今春コンクリートの構造物が姿を現しました。 (写真1)
これは、岡山市が平成21年度の倉安川改修工事の一環として施工したもので、倉安川の地下を通ってその北と南にある用水を結ぶ灌漑と防災目的の「伏せ越し=サイフォン」の吐口部(水が噴き出すところ)の樋柱(樋板を落とし込む溝のついた柱)なのです。(同じような役目の構造物は、倉安川の北側(円山地内)にもあります。写真2)
この福泊サイフォン改修工事については、「とみやま点描“倉安川の伏せ越し改修”」(平成22年3月23日)の記事をご覧ください。
【関連ページ】 とみやま点描(倉安川の伏せ越し改修)
この樋柱そのものにはなんら問題はないのですが、危険なのはその下にある「呑口」と「吐口」です。
福泊サイフォンの断・平面図
子どもが小魚を追って用水に入り、水深せいぜい20cmばかりの水のなかで戯れているとき、つい同じ平坦な川底と思って呑口(又は、吐口)に足を踏み入れるとそこはいきなり水深2.5メートル超の死の世界!、大人でも背が立ちません。
「ここから先は深い」などという看板も目印もなく、いきなり足元を掬われるわけですから、びっくりするは・・・掴まえるものはないは・・・で、助けに行った者も巻き添えになる溺水事故になりかねません。
これは平常時の危険ですが、強い雨が降るとサイフォンに水流が生じます。 すなわち、操山山系に降り注いだ雨は用水を増水させ、呑口から文字通り呑みこまれた水がサイフオンを通って吐口に吹き出すことになりますが、誤って呑口に転落でもしようものならサイフォンに吸い込まれて溺死することは間違いありません。
呑口にも吐口にも鉄製のステップが取り付けてはありますが、「人が落ちないための施策」は何もなされてはいません。(写真3)
小学校・幼稚園当局では「近寄らないで!」と指導したようですが、「怖いもの見たさ」は人間共通の心理です。 「近寄れない」施策こそが焦眉の急なのです。
富山学区交通安全対策協議会では、とりあえず通学路からの転落防止柵の新設を岡山市に要望しましたが、「呑口及び吐口周辺(片側最低10メートル)の用水へのグレーチング蓋掛け施工」等の抜本的安全対策が強く望まれるところです。
(文・写真:小野田)
[ 2010年7月21日 ]
その後、岡山市において改修工事がなされ、呑口及び吐口の全面に(約20cm角の)鉄格子がはめ込まれました。
これで、誤って深みに転落する虞(おそれ)はなくなり、市当局の施策に感謝です。
吐口全面にはめ込まれた転落防止の鉄格子 |
(文・写真:小野田)
[ 2012年1月28日 ]
グミの実が熟れました
多くの木の実が秋に熟するなかで、初夏の風物として登場するのがユスラウメやグミです。
そのグミの木が富山コミュニティハウス玄関脇の植え込みにあり、今年もみごとな実をつけました。
当地では「グイビー」とか「ギービー」などと呼ばれますが、戦中・戦後の甘いものに飢えた年代の者にとっては、田植えの間に間に食べたあの甘酸っぱいような、少し渋みのある味を懐かしく思い起こします。ときは移ろい、いまどきの子どもたちは野生の木の実などは食べなくなってしまったようで、今ではカラスや小鳥がついばみに来ています。
(文・写真:小野田)
[ 2010年6月7日 ]
ハンカチの花
岡山市中区海吉1882−16(出村町内会)の赤松康弘さんの家に、めずらしい「ハンカチの花」が咲きました。 赤松さんによれば・・・、
今を去る20数年前、赴任中の英国の古城を見学中に、とある木を見た妻が「あら、あの木にはハンカチがぶら下げてあるわ〜」というので近寄ってみると、なんと「Handkerchief Tree(正式な名前はDavidia)」と書き記してありました。10年以上、樹高2メートル以上になると花をつけるという珍しい木です。
12年ばかり前、岡山市内の園芸店で「ハンカチの木」の苗木に再会し、即、購入して庭に植えて成長を楽しみに眺めていましたが、今年初めて花を咲かせました。
ハンカチに見えるのは“苞”の部分で、その真ん中に花をつけます。
初めはハンカチも小さく、色も葉の色と同じ緑色ですが、ハンカチの部分が大きくなるにつれて黄緑色からほとんど白い色になり、最後は落ちてしまうそうです。
わが家のハンカチの木は、まだ葉の色が黄緑色で小さいのですが、日に日に白く大きくなりつゝあります。
先日の強風で少し花が傷みましたが、ご覧になりたい方はお早目にどうぞ。観賞歓迎!です。
(注) | この記事は、赤松さんが海吉出村電子町内会の会員ページに投稿されたものを、 富山学区連合電子町内会の「とみやま点描」に転載〜紹介するものです。 |
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(紹介:小野田、原文・写真:赤松)
[ 2010年5月4日 ]
倉安川の伏せ越し改修
倉安川の利水・治水・環境整備を目的として、平成12年度から護岸改修・橋梁改修・川底の浚渫等平成の大改修が行われているなか、現在円山・福泊・山崎地内に3箇所ある伏せ越し(別名:逆サイフォン)の1箇所(円山・福泊地内)が岡山市により改修されています。
この伏せ越しは、上道郡倉安川絵図(安政3年(1856年)調之・岡山大学所蔵 池田家文庫)に『坑内悪水抜底樋』と記載されており、それ以前に築造されたものと思われます。(因みに倉安川は延宝7年(1679年)2月〜8月に開削・築造)
既設の伏せ越し(写真右)は、流出側上石の刻字から大正3年(1914年)4月据替されたもので、内寸法が幅0.65 m×高0.50 mで、胴木を並べた上に石組し、目地にモルタルを詰めた構造でした。
現在(平成22年(2010年)3月)改修されている伏せ越し(写真左)は、既設より約18m東寄りに鉄筋コンクリートで築造されており、上図のような形状をしています。
ボックスカルバートは厚さ20cmで9分割されたプレキャスト製品を現場で繋いで一体化しています。
なお、円山・山崎地内の伏せ越し2箇所については、現在設計中だそうです。
【関連ページ】 とみやま点描(倉安川改修工事)
(文・写真・図:橋本)
[ 2010年3月23日 ]
クリスマスイルミネーションの家
海吉福吉町内会地内(公会堂の東隣り)に、クリスマスイルミネーションの瞬くメルヘンの家があります。
民生児童委員で幼稚園や保育園のボランティア先生をしている山本亮輔さんのお宅で、毎年この時期になると門、庭の立木や植え込み、家の外壁一面に趣向を凝らした何百何千灯もの多彩なイルミネーションが瞬き、庭内には振動センサーに連動したクリスマスソングも流れて、みごとに幻想的なメルヘンの世界が創出されています。
光り輝くペガサスが天に昇って行ったり、かわいいサンタさんが落下傘で降りてきたりする仕掛けもあって、アイディアマンの山本さんの面目躍如です。
年に1回お正月に帰省するお孫さん(6歳と3歳)たちのためにと、5年ばかり前から本格的なデコレーションに取り組み、12月半ばころから年始のころまで点灯していて、近年は学区内外からひと冬に延べ200人超が見学に訪れるそうです。
(文・写真:小野田)
[ 2009年12月23日 ]
倉安川の鴨のつがい
海吉本村〜中村地区を流れる倉安川に、カモの番(つがい=夫婦)が住みついて話題を呼んでいます。
地域の方々の話を総合すると、次のようなことです。
- マガモのつがいに相違ない。
- 平成17年の秋ごろ、雄1羽、雌1羽、幼鳥(雌)2羽の計4羽で倉安川に飛来
平成18年秋には、雄1羽、雌2羽に
平成19年秋には、雄1羽、雌1羽となり現在に至る。 - 倉安川での行動範囲は、普通は出会橋(本村)と新世紀橋(中村)の間を行き来しており、たまに柾木樋門や富山橋方面まで足を延ばこともあるようだ。
特に、中村橋下の百間川右岸用水の清水が注ぐところや、海面橋(本村)下の流れがお気に入りの様子 - 夏は、水田のなかで戯れていることもある。
- 一年中、倉安川周辺で過ごしており、“渡り”はしていない。
- 餌は自然なものが多いようだが、通行人や住民が与えるドッグフード、キャットフード、せんべい、クッキー、パン、ご飯など多彩な食事をしているが、どうやらキャットフードがお気に入りの様子
- 平成18年より産卵を繰り返しているが、ことごとくカラスに喰われてしまっている。
平成19年秋には、本村町内会のTさん宅の庭に産卵し、Tさんは仮設の小屋を作って抱卵の安全を図ったが、ちょっとした隙にカラスにやられたという。
今シーズンは、まだ産卵の情報はない。 - 平成17,18年のころはよく人に慣れており、庭先までやってきて大きな声で餌をねだったり、人の手の上の餌をついばむほどだったが、心ない人が石を投げたりしたため警戒心が強くなり、昨今は川からはあまり上がってこなくなっている。
筆者がシャッターチャンスを待っていると初老の婦人が通りかかり、わが孫に話しかけような口調でやさしく語りかけていました。
いずれにせよ、これは地域のみなさんの温かい心に抱かれ見守られて、心地よく人里に住み着いた野鳥の珍しくも心温まる話題で、みなさんもぜひ一度見においでください。
(取材:佐藤、文・写真:小野田)
[ 2009年3月26日 ]
コミュニティ協議会の倉庫完成
富山学区の各種団体は、長年倉庫代わりに使っていた旧幼稚園舎の解体〜撤去に伴い、それぞれの管理物品の保管場所に困っていました。
安価で、堅牢で、使用に便利で、しかも建設が簡単・・・をアイテムに検討した結果、旧幼稚園舎跡地(富山学区コミュニティ協議会が管理)に組み立て式の鋼板倉庫を建てることになり岡山市へ建築確認申請を提出、基礎工事は地元の建設業者にお願いしました。
建築許可も下りた11月19日、朝8時にボランティア素人建築士10名が集まり、「あゝでもない」「いや、こうだ」などと組立図片手に試行錯誤を重ねながら奮闘し、午後3時過ぎにはみごとに倉庫を作り上げました。
この倉庫はコミュニティ協議会のほか、連合町内会(防災、防犯を含む)、社協、文化まつりなどの関係物品の保管に使用されることになっています。
(後列) | 黒田智昭 湯浅一弘 佐藤孝章 小幡周一 小野田利正 |
(前列) | 實村 貢 佐藤泰彦 杭田 洋 笠原一郎 小野田吉宏 |
(向って左から、敬称略) |
(文・写真:小野田)
[ 2008年11月23日 ]
小さい秋、み〜つけた
海吉出村町内会のTさんのお宅では、10年ばかり前に植えたアケビがたわわに実をつけました。
アケビの蔓(つる)が庭の入り口にアーチ状に設(しつら)えてあって、花の時期に竜の口の山から採ってきた花粉で人工授粉したところ、こんなにたくさんの実が生ったそうです。
山遊びなどとは疎遠な近頃の子どもたちに見せると、「なに?これ」「おイモでしょ」という始末。
甘いものが乏しい時代に育った年代の者にとっては、懐かしい秋の風物と味覚です。
(文:小野田、写真:村田)
[ 2008年10月22日 ]
稲刈りが始まる
稲刈りが始まりました。
円山の山田庄八さんの田んぼは、2反(約20アール)。6月に田植えした稲穂が黄金色に実っていました。10月13日、朝露が落ちるのを待ってからコンバインに乗って、「ヒノヒカリ」の刈り取りを始めました。今は、昔と違って、刈り取りから車に積み込みまで一人で出来るようにしています。
山田さんは、「今年は天候が良く収穫は十分」と言われていました。
この日、海吉でも稲刈りが行われていました。
これから、富山学区などの県南では、「ヒノヒカリ」から始まり「朝日」「あけぼの」などの品種の刈り取りが11月まで続きます。
(文・写真:山田)
[ 2008年10月15日 ]
酔芙蓉(すいふよう)
海吉本村町内会の佐藤会長のお宅へ伺ったとき、「これが酔芙蓉という花です」と教えてもらいました。
なんでも、午前中は純白の花が、午後になると段々とピンク色になり、夕方にはすっかり紅色に変わるとのこと。
ちょうどお酒に酔ってだんだんと顔が赤らんで行く人のようだと、「酔芙蓉」の名がついたようです。
下の写真は、その変化する花の色を撮ったものですが、半日ですっかり装いを変える花の不思議に魅せられました。
逆光になったりするので全部が同じ花ではありませんが、同じ木に咲いた花は同じように“酔い”が進んで行きました。
翌日には紅色のまましぼんでしまうそうで、私たちに「呑み過ぎはいけませんよ」と教えてくれているような、まことに示唆に富んだ酔芙蓉の花です。
(文・写真:小野田)
[ 2008年9月6日 ]
消えた歴史の証人
平成20年8月6日、福泊のコミュニティハウスの北にあった富山幼稚園の旧園舎(別ウインドウ「平面図」参照)が解体〜撤去され、姿を消しました。
これを機会に、富山幼稚園とこの建物の来歴を辿ってみたいと思います。
この建物は、「経過概要」(別ウインドウ)にもあるように、中央公民館の富山分館として20数年、それ以前には富山幼稚園舎として8年間使用されてきましたが、老朽化が進み、ついに取り壊しの運命となりました。
この幼稚園舎を巣立った8期〜300人余の善男善女たちはいまや回顧と郷愁のよりどころを失い、あるいは時の流れに非情と虚無感を覚えることでしょうが、これも時代の変革と要求によるところであり、致し方ないところでしょう。
その跡地には倉庫が建設され、余剰の地積はコミュニティハウスの駐車場として整備されることになっています。
在りし日の旧幼稚園舎 |
園舎東での卒園記念写真(昭和38年) |
園舎正面玄関 (左下方に、路地廊下の石段が残っている) |
更地となった園舎跡地 (手前のフェンス囲いは、コミュニティハウスの浄化槽) |
(文・写真:小野田、資料協力:岡山市立富山幼稚園・岡山市立中央公民館)
[ 2008年8月17日 ]
盛徳院に咲く“沙羅双樹”の花
円山の盛徳院には広く一般に沙羅双樹(さらそうじゅ)と言われる木があり、6月の下旬ごろ白い椿(ツバキ)に似た花をつけます。(この写真は、昨年の夏撮影したものです)
実は、この木は「夏椿」で、本来の沙羅双樹は日本の風土では育たないと言われています。
が、本当の沙羅双樹もこの夏椿とよく似た花が咲くことから、沙羅(しゃら)の木、転じて沙羅双樹と呼ばれるようになったようです。
沙羅双樹は、釈迦が亡くなったときに近くに生えていたことで有名で、「平家物語」の冒頭の文に出てくることでもよく知られています。
祗園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理(ことわり)をあらはす
おごれる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
ものの本によると、ここでの”沙羅双樹”もおそらく「夏椿」のことをさしているとのことですが、ともあれ、古刹の夏の庭に静寂を醸す清楚な白い花に釈迦の教えを偲ぶのも、また結構なことではありませんか。
(文:小野田、写真:薄)
[ 2008年6月10日 ]
自動車学校にいた「二宮金次郎」
円山の自動車学校に二宮金次郎の像があると聞き、梅雨の晴れ間に訪ねてみました。
二宮尊徳(金次郎はその別名)は、江戸時代後期に「報徳思想」を唱えて、「報徳仕法」と呼ばれる農村復興政策を指導した農政家・思想家ですが、相模国足柄上郡栢山村(現在の神奈川県小田原市)に農 民の子として生まれ、貧しい少年時代を過ごしました。
彼は朝から晩まで真面目に働いていましたが、「本を読む時間があったらその分働け」というわけで家では勉強させてもらえず、そこで立像にあるように、草鞋(わらじ)を履き薪を背負っての道中に本を 読んで勉強した・・・というのです。
おそらくその勤倹勉励する姿が修身教育のお手本としてふさわしいと考えられ、日本中の学校に銅像などの立像として建てられたようで、旧富山小学校の玄関に向かって左の台座に立っていた金次郎も実にみごとな備前焼でした。
しかしながら、小学校取り壊しのどさくさで行方不明になったようで残念です。
円山自動車学校の正門を入ると右脇の植え込みの中に、懐かしい金次郎さんが立っていました。
古老のYさん(80歳)の話によると、「わたしが幼稚園のころにこの自動車学校の建設が始まり、開校(昭和13年)当時から金次郎はあそこに立っていて、空襲にも遭わず、焼き物だから供出にもならず、自動車学校の来し方を見守ってきた」とのことです。
近年は、「児童が像の真似をして、歩きながら本を読んだりすると交通安全上問題がある」などという理由から(?)小学校では見られなくなってしまいましたが、今日は60年余ぶりに懐かしい方にお会いしたような気分になりました。
(文・写真:小野田、協力:岡山(円山)自動車学校)
[ 2008年6月6日 ]
薔薇のオープンガーデン
5月17,18日の二日間、福泊川東町内会のKさん宅で“わかばの庭”=薔薇(ばら)のオープンガーデンが開かれました。
K夫人が丹精込めて咲かせたイングリッシュローズやハイブリッドローズなど百種を超える薔薇の花が咲き競い、お庭は甘い香りに包まれていました。
薔薇を植えてから4年目の春を迎え、オープンガーデンは今年が初めてだそうですが、見学のお客様が次々と訪れていました。
K夫人によれば、なんでも「岡山イエローブック」という会員200名規模の同好会があって、この時期は市内6箇所の会員さんの家で一斉にオープンガーデンが開かれ、「お互いに訪問し合って刺激を受けたり与えたりする相互研鑽のためのイベント」というのがそもそもの狙いだそうです。
“わかばの庭”のネーミングは?とお尋ねすると、「いつまでも“初心者”のつもりで、常に向上したいから」とのお答えが返ってきました。
(文・写真:小野田)
[ 2008年5月18日 ]
「つつじ」の咲く家
山崎本町を歩いていて、塀越しにみごとな「つつじ」が目に留まりました。
許しを得て写真に収めましたが、M夫人の話では赤い花は「キリシマ」で、ピンクの花が「リュウキュウ」だそうです。
樹齢は?とお尋ねすると、「もう百年近くになるでしょう」とのこと。
きれいな花をいっぱい咲かせるには、「花が散ったら、若葉のうちに剪定すること」だと教えていただきました。
(文・写真:小野田)
[ 2008年4月28日 ]
百間川緑地福吉公園
百間川右岸の下段道路沿いに「百間川緑地海吉福吉公園」、通称「三角公園」とか「桜公園」と呼ばれる広場があります。
東西(いちばん広いところで)約6メートル、南北約30メートルの南端が尖った細長い地積には遊具やあずまやが設置され、西側の外柵沿いには20本の桜の木(ソメイヨシノ)が植えられています。
平成20年4月6日は絶好のお花見サンデーで、満々開となった樹齢14年の桜花の下には地元海吉福吉町内会の善男善女百数十人が繰り出して、にぎやかに「さくらまつり」が開かれていました。
(文・写真:小野田)
[ 2008年4月8日 ]
花桃三彩
岡山市円山(浜倉)地内の旧道を通っていると、道沿いの民家の庭に赤・白・桃色も鮮やかに、三色の花樹が目に飛び込んできました。
思わず足を止め、許しを得てカメラに納めましたが、ご当家のK夫人によれば、「実のつかない“ハナモモ”ですよ。植えてから7〜8年になるでしょうか」とのこと。
樹齢同年代の三色のハナモモが、この世の春を咲き誇っていました。
(文・写真:小野田)
[ 2008年4月6日 ]
曹源寺のしだれ桜
平成20年3月29日午後、有名な曹源寺のしだれ桜をみてきました。
樹齢は40年ぐらいだそうですが、操山を借景にした回遊式庭園の片隅で優雅に咲き誇り、池の水面にその美しい姿を映していました。
明日は生憎と雨のようですから今がちょうど満開の見ごろのようで、大勢の人で賑わっていました。
(文・写真:小野田)
[ 2008年3月30日 ]
曹源寺の三重の塔
曹源寺の境内より急な山道を約10分程登って行くと、山林の中に突然、三重塔が現れました。
遠方からみると、操山の樹海の中に納まりよく建っていて、広大な伽藍の一角を形成しているのですが、いざその現地に立ってみると、岡山の貴重な文化財も周りを雑木に覆われていてよく見えない状態です。
山門や本堂がきちんと守られているのに比べ、大変な荒廃ぶりでした。
(文・写真:山田)
[ 2008年3月5日 ]
めずらしい花
寒い冬場に白い可憐な花をつけるクリスマスローズの花で、原産地は欧州から西アジアの「きんぽうげ科」の常緑多年草です。
最近、いろんな種類の鉢植えがホームセンターの店先を飾っていますが、海吉地内の道端の植え込みの中で自生(実生?)し、可憐な花を咲かせているのを見つけました。
(文・写真:湯浅)
[ 2008年3月5日 ]
お雛様の家
海吉出村町内会長のお宅では、今年もたくさんのお雛様が飾られています。(※下の画像をクリックすると、別ウィンドウに大きい画像を表示します)
壇飾り3組、掛け雛1幅(これは、昨年の富山文化まつりに「地域のお宝」として出展されたものです(写真右側))、ガラスケース入り7箱〜延べ17点、卵雛1組、色紙雛5枚・・・といった塩梅で、座敷はお雛様に占領されています。
場所は海吉1779番地の小野田家で、きらく寿司さんから西へ5軒目の(海吉出村町内会長の)家です。
4月3日までは飾ってあるそうです。ご当主は、「大勢のみなさんに観て頂ければ、お雛様もきっと喜ぶでしょう」と言っておられました。
(文・写真:小野田)
[ 2008年2月23日 ]
移動式排水ポンプ3台設置
2006年6月26日朝の集中豪雨により、学区内は随所で浸水の災害を受けました。そこで市に対し災害対策の請願をしたところ、市は翌2007年6月29日に倉安川の円山・山崎地域の3か所にある用水のサイフォンのところに毎分3トンの排水能力のある移動式ポンプを設置しました。
集中豪雨の雨水を倉安川に放流して、この地域の浸水被害の減少に役立つことが期待されます。
(文:大江、写真: 薄)
[ 2007年9月1日 ]
富山学区内の浸水災害対策用排水ポンプ
学区には、大型の排水ポンプ場が倉安川排水機場と二膳樋揚水機場の2か所あります。
倉安川排水機場には、倉安川の排水が主で100馬力のディーゼルエンジンのポンプが2基あり、フル稼働なら毎秒2.5トンの排水能力があります。
側には自然放流の樋門もあるので、百間川との水位の差で稼働させます。
二膳樋揚水機場は、用水の排水が主で75kWの電気モーターのポンプが2基と15kWの電気モーターのポンプが1基計3基あり、75kW2基で毎分160トン、15kWで毎分15トンの排水能力があります。
ところで、学区内の浸水災害防止と農業用水の管理がなされているのは2か所のポンプ場を管理されている方々の昼夜を分かたぬ働きのおかげです。
(文:大江、写真: 薄)
[ 2007年9月1日 ]