「御野」の名前の由来 |
「東備郡村志」に蓑山(みのやま)とは、素盞鳴尊(すさのうのもこと)當国 簸(ひ)の川上にて、八跂の大蛇を斬り給い、又 吉備の逆賊を征して、其 功を終え、卑賤の姿して、敵を欺くの計略召し給ふ蓑笠を脱捨て、其の蓑を 納め給ふ山と云えり。 其の山は今御野郡、三野山これ也。 故に其の「蓑」の訓をもって転じ、郡、村、の地名に作りしかば・・・ 「三野郡」は文武帝慶雲の頃より転じて「御野」に作れり。 その簸(箕)(みの)山、簸(ひ)の川より寸簸(きび)の名前ができ、また寸 簸(きび)國という名前ができ、その後に転じて吉備になってきたものという。 吉備の國名が、このようにして、箕山からでてきて時代が変わるにつれて 変化してきたという。 とするならば、吉備路・國府・作山古墳等は後の世にできたもので、この簸 の土地の方が先輩であり、基であるから、この御野の名を大いに誇りとし、 後世、また他の人にも伝えたいと思う。 (御野今昔物語より) |
御野歴史年表 | ||||
縄文時代 〜弥生時代 (4000年 〜6000年前) |
朝寝花貝塚 | 江道遺跡 | ||
古墳時代 (4〜5世紀頃) |
三野臣 | 神宮寺山古墳 | 一本松古墳 | |
奈良時代 | 三野国造 | 三野評・御野郡 ・御野郷 |
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天平時代 (8世紀) |
法界院 | |||
戦国時代 〜江戸時代 (16世紀〜18世紀) |
天計神社 | 天神社 | 御崎宮 | 八幡宮 |
明治時代 (1867〜 1912) |
御津郡御野村 | 御野村 | 北方村 | 宿村 |
明治24年 | 山陽本線開通 | |||
明治28年 | 御野郡御野尋常小学校創立 | |||
明治31年 | 津山線開通(法界院駅) | |||
明治38年 | 三野浄水場通水開始 | |||
明治41年 | 御野郡伊島村に陸軍第17師団を新設 | |||
大正時代 (1912〜 1926) |
大正10年 | 御野郡御野・伊島・石井・鹿田4村が岡山市に合併 | ||
大正14年 | ・岡山市北方に県立農事試験場を新築落成 ・第17師団廃止。歩兵第33旅団が置かれ、姫路から歩兵 第10連隊と工兵第10大隊が移駐。 |
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昭和時代 (1926〜 1989) |
昭和2年 | 御野幼稚園創立 | ||
昭和10年頃 | 県道吉井線開通 | |||
昭和22年 | 岡北中学校創立 | |||
昭和24年 | 岡山大学創立 | |||
昭和34年 | 御野学区連合町内会創立 | |||
昭和37年 | 県営グランドを主会場に岡山国体開催 | |||
昭和39年 | ・岡山理科大学創立 ・半田山植物園開園 |
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昭和40年 | 県営グランドの東から県道吉井線まで(旧北方一部)と 中井町の住居表示が変わり、学南町1・2・3・丁目、 大和町1・2丁目、中井町1・2丁目となる。 |
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昭和47年 | 山陽新幹線開通 | |||
昭和48年 | 県道吉井線より東と北部の旧北方・津島・三野・宿の 住居表示が変わり、北方1・2・3・4丁目、 津島東1・2・3・4丁目、理大町。 三野1・2・3丁目、三野本町、半田町、宿本町、宿 となる。 |
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昭和59年 | ・県立農事試験場跡地にこどもの森公園を開園 ・御野学区連合町内会創立25周年 |
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平成時代 (1989〜 |
平成10年 | 万成−国富線の学南町・大和町高架橋開通。 | ||
平成12年 | 岡北大橋完成 | |||
平成17年 | 第2回目の岡山国体が県営グランドを主会場として開催 | |||
平成21年 | ・クラボウ岡山工場創業85年間を閉鎖 ・御野学区連合町内会創立50周年記念式典 |