◆朝寝鼻貝塚(岡山理科大学入口) 貝塚基底部出土の貝殻類や土器片は約4000年 前、 縄文後期のもので、その下層部から縄文前 期の掻器・ 石鍬・獣骨・炭などが出土したことから、 約6000年前の遺跡と推定されました。 また、土壌から約6000年前の栽培種の稲の細胞 化石 が検出されました。 この発見は日本最古の検出例となっている。 3000年ほど前までは津島の半田山の麓くらいが 海岸線 でした。 |
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岡山理科大学入口正門横に立てられた 朝寝鼻貝塚の説明が書かれた看板 |
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早期 12000年前 この頃本州と四国はまだ陸続きでした。
12000年前〜10000年前の瀬戸内の地図
しかし、地球上の氷河期が終わって気温が上がり、氷が溶け出し、その水が海へ注ぎ、海水の量が増えて来ると、それまで草原と湖だった瀬戸内へも海水が入ってきました。
→瀬戸内海の誕生
陸続きの瀬戸内 ⇒ 気温上昇 ⇒ 氷が溶け出す ⇒ 瀬戸内海誕生
※縄文海進による海面上昇で出来た瀬戸内海
(9000年前〜6000年前までに海面は約15m上昇しました。)
前期 6000年前
瀬戸内海が出来ると、岡山の縄文人たちは海で漁をするようになりました。
縄文人の生活
(1)海進が進むにつれ、人々は海岸に住むようになり、いくつかの家が集まった
20〜30人の村を形成しました。
(2)表面に縄で模様をつけた土器を作って焼き、土器の利用により、食生活が
大きく変化しました。
(3)一度にたくさんの魚が取れる網を作りました。