三野国造とは三野国(現・岡山県岡山市、加賀郡周辺)を支配 したとされ、国造本紀(先代旧事本紀)によると応神天皇 (15代)(270~310年)の時代に弟彦命(おとひこのみこと) を国造を定めたことに始まるとされる。 日本書紀によると吉備津彦命の後裔であり応神天皇の 皇妃・兄媛(えひめ)の兄である御友別命(みともわけのみこと)の 末子・弟彦が三野国を分与されて三野臣の祖となったとされる。 国造(くに の みやつこ・こくぞう・こくそう)は、 古代日本における地方官である。 軍事権、裁判権なども持ち、 実質的にその地方の支配者であったが、 大化の改新以降は主に祭祀を司る世襲制の名誉職となった。 後の雄略天皇崩御の479年、後継を巡る星川皇子の変によって 吉備氏族に反乱が起こり、鎮圧後は吉備氏の権力は消滅したという。 三野臣氏は備前一宮である吉備津神社を奉斎したことから 後に社家・大森氏(後に大守氏に改姓)を輩出しているが、 早くに武家に転じたとされる。 系図によると三野臣の後裔とするもの、 田使姓難波氏の一族、藤原支流、 など諸説があるという。 |