法界院  

法界院略記
 
 当寺は人皇第45代聖武天皇の御代の天平年間(749)報恩大師が開基し、西谷山妙塔寺
と称し、岡山市笠井山の磯尾谷堂屋敷に伽藍を有していた。
 しかし戦国時代の合戦で辺りは焼土となり、塔頭百余坊を備えた伽藍相貌の妙塔寺も罹災
した。
 その後、御野郡=現在地=に移り、金剛山遍照寺法界院と改めたが、改地改名の年代は
不明なり。
 御本尊聖観音は一刀三礼の霊像で、寺史によれば聖徳太子の御作と伝えられており、国
の重要文化財にも指定されている由緒ある御尊像であります。
 江戸時代前期の住職伝審(でんしん)和尚が堂舎を再建し寺風を中興した。
 伝審和尚は学徳に勝れ、備前岡山城主池田公も篤く帰依された。
 池田公は当寺より寄進した伽羅木の如意輪観音と、岡山城主に伝わる金銅一寸八分の如
意輪観音の二尊像を安置するために、後楽園内に<慈眼堂(じげんどう)>=現在も建物は園
内に現存している=を建立し、当寺歴代の住職が月参いたし、33年目には当寺に遷座して、
30日間の御開扉法要を厳修し、以って一般庶民の参詣を許した。
 池田公はこの厚い観音信仰の仏徳によって、江戸参勤交代の砌り東海道の白須賀の宿場
に於て、観音菩薩が夢枕に立たれておつげ有り、急いで宿場を旅立ったため御危難を逃れた
ことが、今もなお語り伝えられている。
 近世まで岡山市と赤磐郡の方面に十数ヶ寺の末寺をもつ中本寺として栄えていたが、現在
は<法界院の観音さま、法界院のお大師さま>と云われて信者の敬虔な祈りの聖地として、多
くの皆様に親しまれています。                                 

法界院 
(資料提供:宿町内会長 分島久志氏)

 
 半田山南麓にある真言宗の寺院。
 正式名称は「真言宗金剛山遍照(へんじょう)寺法界院」といい、聖観音立像を本尊とします。
 天平(てんぴょう)勝(しょう)宝(ほう)年間(8世紀中ごろ)、報恩大使の創建と伝えられています。
 たびたび火災にあい、文久年間(1861年〜1864年)には、仁王門と中門を残して焼失したため、
 本堂をはじめ、ほとんどの建物はそれ以降のものです。

○聖観音立像(国指定重要文化財)
 この立像は、聖徳太子の作と伝えられ、桧(ひのき)材一本造りで、素朴な作風を示す平安時代
後期(11世紀ごろ)の秀作です。像高103.7pで、当初は彩色像だったといわれています。

○道讃禅定(ぜんじょう)門石灯籠(とうろう)(市指定重要文化財)
 この灯籠は、豊(て)島石製で、慶長3年(1598年)の造立です。全高222cm、竿には、造立の
趣旨・紀年が刻んであります。姿は古相を示し、この時期の貴重な在銘物です。