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むかしむかし、神さまが動物達にお札を出しました。 正月の元旦にこの山の頂上に先に着いたものからご褒美として歳の始めに名前を付けてあげよう。 それを見た動物達は、元旦の日を楽しみに待っていました。 牛は足が遅いので早めにでかけました。鼠はチャッカリ牛の背に乗りラクラクです。 山頂に着くと、鼠は牛の背中からピョンと飛び降り一番に着きました。 牛はのんびりと2番目です。次々と動物達が頂上めざしてやって来ます。 猿と犬は道中喧嘩をしながらやって来て頂上に着きましたが二匹が隣り合わせになると喧嘩するので神さまは猿と犬の間に鳥を入れ、 9、10、11番としました。 最後に猪が土煙を巻き上げながら突進してやっと12番目に入りました。 山頂に集合するのは元旦の次の日だよ、と鼠から嘘の日を教えられた猫は番外となり、爾来、猫は鼠を追いかけるようになりました。 おしまい。 |
〔えと〕は〔干支(かんし)〕の俗称で、〔十干十二支(じっかんじゅうにし)〕のことをいいます。 〔えと〕の〔え〕は陽気を表す〈兄〉、〔と〕は陰の気を表す〈弟〉の意です。 〔干〕は木の幹、〔支〕は木の枝をあらわします。 〔干支〕とは、中国で殷の時代に10日ごとに循環する日を表示する数詞として用いられ、漢代に陰陽や五行の説と結びつきました。 〔十二支〕とは、本来は、中国の天文学で12年で天を一周する木星の位置を示すために用いられ、中国の戦国時代に12の動物が当てられました。 干支と十二支を組み合わせた〔六十干支〕は、年・月・日を表すのに用いられました。 干支がいつ日本に伝わったかははっきりしていませんが、推古天皇の時代には年や日を干支で示すことが一般化していたようです。 その後日本では、それぞれの動物の特性にちなんだ迷信や俗信が生まれ、生年による性格判断などに使われるようになりました。 |