トップページ > ニューストピックス > ニューストピックス(2017年12月5日)

ニューストピックス(2017年12月5日)

百間川の歴史探訪 〜世紀をこえた川づくり〜

歴史・行程の説明 年の瀬も押し迫った12月5日(火)午前9時前、富山公民館には老若(?)男女が25人集まり「百間川の歴史探訪」が開催されるのを心躍らせて待つ姿が見られました。“富山の自然を楽しむ会”の主催で富山学区の東端を南北に流れる百間川の成り立ちを学ぶ集いに参加する人々です。

バスで いざ出発 最初に公民館で實村代表から本日の予定と百間川が開削された歴史的な経緯の説明があり、チャーターしたバスに乗り込み、中区今在家にある中消防署を目指しました。途中百間川右岸堤防道路から正木山麓にある“笄(こうがい)の井戸”を車中から眺め往時を偲びました。

工事中の一の荒手と“亀の甲”(右上の画像) 程なくしてバスは中消防署に着き、少し南にある旭川から百間川への取水口「一の荒手」を見学しました。現在は国土交通省による改築事業で傍までは立ち入ることができませんが、全体を見渡せる展望所があり、そこから取水口全景を見ることができました。岡山城下町を水害から守るため、今から330年以上前に熊沢蕃山の「川除(かわよけ)の法」を基に津田永忠によるこのような大土木工事が行われたことに感銘を受けました。

中消防署・水防センターでの様子(左画像は中消防署玄関の津田永忠像) そして、津田永忠像が出迎える中消防署の“水防センター”で署員の方から防災についての講話を聴きました。大雨による浸水、がけ崩れ等の土砂災害、地震によるがけ崩れ・津波に対する備えの重要性が再認識されました。

親水公園 中消防署の南に隣接して“ほたる池”を中心とした親水公園が設けられており、桜のシーズンには多くの人々で賑わうそうです。

二の荒手 次にバスは竹田の「二の荒手」に進路をとりました。「二の荒手」は百間川の名前の元になった所で荒手の幅が百間(約180m)あり、現在はその遺構を見ることができるように整備されています。

祇園用水(直進)と百間川右岸用水(左折) そして、次は原尾島にある祇園用水からの百間川右岸用水取水口を見学しました。百間川右岸用水は、字の如く百間川の右岸を南下し沢田・今谷・米田を経て海吉地区に至る農業用水で、富山地区も多大な恩恵を受けています。

昼も近付いたので一行は高屋にある東公民館に立ち寄り昼食タイムをとりました。

米田橋下の旧堤防と切通し 一時間程の休憩の後、米田の河川敷にある旧堤防と切通しを見学し、続いて百間川左岸にある「百間川築造三百年記念碑」に立ち寄りました。昭和61年に建てられた立派な記念碑が海吉地先の広場の一角に建っています。

百間川築造三百年記念碑と参加者

百間川河川事務所での様子 その後、福吉の富山荘横にあった旧堤防跡を見て、最終目的地の国土交通省百間川河川事務所に向かいました。2014年に “平成水門”3基が完成し従来の“昭和水門”と合わせ、近年各地で猛威を振るっている豪雨災害に対応する役割を担っているとの事で、頼もしく感じました。

公民館に帰着“お疲れ様でした” 無事午後3時過ぎに公民館に帰着し、それぞれ感想を述べて散会しました。改修工事は平成31年に完成するそうなので、是非再度見学したいと思いました。

(文・写真:横地)

↑このページの最上部へ

ニューストピックス