操明懐かしの写真館(第36回)
投稿日:2023年2月5日
小学校付近からのながめ、昭和と令和
私たちの住んでいる操明学区は昭和の中頃まではのどかな農村風景が広がっていました。昭和53年には南北に片道3車線の広い道路(産業道路)が走り、その後児島湾大橋、岡南大橋、新岡山港、岡山ふれあいセンターなどが出来、平成8年には操明小学校が開校しました。基盤整備が進み今では工場や民家などが建ち並ぶ地域として大きく変貌をとげました。
今回は操明小学校(藤崎)付近から東西南北の風景を今から約60年前の昭和30年代と現在(令和5年)で比較してみました。なお、昔と対比するため現在の写真は高さ30mの位置からドローンで撮影しています。
西方向を見る
操明小学校の南約100mの場所から西方向を見た写真。
青い楕円の中はクラレ(岡山工場の煙突)です。
昭和の写真の中央にある4本煙突は中国電力三蟠火力発電所ですが、昭和50年代後半に解体され、今は空き地となっています。
南方向を見る
昭和の中頃までは南を見ると高島が見えましたが、現在では高い所からでないと見えません。(建物の後ろにやっと見えます)
南東方向を見る
昭和の写真は、百間川や児島湾の土砂で農地をかさ上げした時(昭和干拓)の様子です。向こうにかすかに小豆島が見えます。秋には一部が赤みをおび、寒霞渓が紅葉したことが分かりました。
北方面を見る
操明小学校の校門付近から北方向を見た写真です。昭和36年当時は三番用水の左側(西側)には道らしき道はありません。家も少なく操山(みさおやま)がよく見えていました。小学生は操南小学校に通っていました。
下の写真は、校門の少し南で高さ20mから北方向を見た写真です。
(操明電子町内会)
カテゴリー:地域紹介