操明この人 第9回「藤岡裕大」プロ野球選手(藤崎)

投稿日:2021年2月10日

ロッテ不動の遊撃手に

平成5年8月8日生まれ。操明小でソフトボールを始め、操南中時代は硬式の赤磐ベースボールクラブに。岡山理大付高では甲子園出場は叶わず、練習の厳しさでは日本一といわれる東都六大学の名門亜細亜大学に進学。一年春からレギュラーになり6度の優勝と2度の大学日本一に貢献、3年秋に首位打者、ベストナインに3度輝きドラフト会議での指名を有力視されながらまさかの指名漏れ。順風満帆の野球人生が暗転。失意の中、社会人野球の強豪トヨタ自動車に入社。都市対抗野球で大活躍。一年目にトヨタの初優勝に貢献し若獅子賞に輝き優秀選手に、二年目には同大会の開幕戦でサヨナラ満塁本塁打を放つなど自慢の強肩に加え、打撃も力強さを増し、アジア選手権日本代表になる。社会人2年の努力で才能は大きく開花し、平成29年のドラフトで千葉ロッテマリーンズから堂々の2位指名を受ける。
プロ1年目の平成30年は、過酷なショートの守備で全143試合に出場。全12球団の新人で唯一、ロッテでは21年ぶり3人目の快挙でリーグ1位の26犠打も記録するなど攻守走三拍子揃った社会人ナンバーワン内野手の名に恥じない活躍を見せた。
3年目の昨年はコロナの影響で難しいコンディション調整を強いられる中、シーズン後半には8/27の楽天戦でチーム唯一のヒットを放ちノーヒットノーランを阻止、また首位ソフトバンクへの挑戦権をかけたクライママックスシリーズ進出争いでの西武との試合(11/8)で決勝ホームランを打つなどここ一番での勝負強さが光る。軽快なフットワークと自慢の強肩で華麗な守備は定評がある。
平成8年創立という歴史の浅い操明小学校出身初のプロ野球選手の誕生は後輩選手たちの希望と憧れ、そして大きな目標です。
厳しいプロの世界、挫折を乗り越えてきた精神力と長いシーズンを乗り切る体力を鍛え、若手の台頭が著しいロッテの不動の正遊撃手としてこれからもさらなる飛躍を期待しています。

平成28年の都市対抗野球で強豪トヨタ自動車の初優勝に貢献    前列左から3人目が藤岡それから右8人目は豊田章男社長(東京ドーム)

文責  萩原正彦

※ 操明この人シリーズは左側メニュー欄にこれまでの全員があります。

 

 

 

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