操明懐かしの写真館(第3回)

投稿日:2021年1月31日

地域の誇り 三蟠火力発電所(その2)

発電所が地域にもたらした主な恩恵は前回のとおりだが他にもいろんな恩恵があった。北側の正門を入り、左行の通りには、売店、食堂、理髪店、歯科などがあり、従業員向けの福利厚生施設であったが地域住民も自由に利用が出来て大いに助かった。また、集会場では映画会,演芸大会などの催しもあり見学した。町内会の会合にも度々使用されたり、台風などの避難場所ともなり周辺が停電の時でも明るく住民に安心感を与えてくれた。広いグランドでは職員家族慰安運動会や社会人野球の試合も行われていてよく見に行った。後には地区老人会がゲートボールを楽しんだり江並道通宮の夏祭り会場にもなっていた。祭りには所長をはじめ従業員の人たちも家族連れで夜店や演芸を楽しんでいた。夏休みになると職員の家族や子供達がバスや船で渋川や出崎、牛窓などの海水浴場に連れて行ってもらった。社風が開放的で地域に溶け込み一体となってみんな仲良くという姿勢が随所にみえた。この発電所に転勤してきた人達が一様にここは家族的でいままでで一番働きやすく楽しい職場だった。地域の祭りや行事にもよく参加して思い出がいっぱい出来たとOB社員が「50年のあゆみ」に書かれているがまさにその通りだったと思う。
地域と共に歩んできた三蟠発電所であったが施設の老朽化、燃料も石炭から石油へ、また新しい技術を駆使した水島、玉島など大容量新鋭火力発電所の建設により、昭和40年代になると予備火力として位置づけられ運転体制の縮小がはかられるようになった。その後一時的には電力需要のひっ迫によりフル運転したこともあるが昭和57年残っていた石炭をすべて焚ききって3月25日最後の運転を終えた。職員の大半は水島・玉島発電所へと移っていった。およそ半世紀にわたる大きな足跡を残しその歴史を閉じた。ここで働いた延べ600名に及ぶ皆さんご苦労様でした。跡地は平成元年から三蟠ゴルフセンターとして営業されグランドやテニスコートは地域に開放されていましたが平成31年に閉鎖となりました。
長い間お世話になりました。

旭川には石炭船、発電所と周辺社宅以外は人家も少なくのどかな田園風景昭和35年頃

すぐ北の江並中用水町内から見る雄姿。今から40年位前か 水田は今はすべて住宅地

旭川河畔に聳え立つ発電所の雄姿は半世紀にわたる三蟠のシンボルだった

戦前・戦中・戦後と激動の時代に電力を供給し続け、地域と共に歩んだ発電所は大きな誇りでした。懐かしの中電三蟠有難う。

参考  三蟠発電所50年のあゆみ
文責  萩原正彦

 

 

 

 

 

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