七日市町内の場所(岡山市の このあたり)

岡山市北区七日市(岡南学区です)
悠久の限りなき旭川のほとり、その西岸に豊かな水運の恵みをうけて発展した町並みの一つがわが七日市である。一つの町内会に神社仏閣が三つあるのも珍しい。古くからある春日神社と最城院、新しくは妙栄寺の存在である。

七日市ここ

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七日市は、西町と東町で構成されています。

七日市今昔物語(一)       故 浜崎久太郎 著
○七日市町名の由来と沿革
今を去ることおよそ五百年の昔、室町時代後期の岡山の地に金光備前という豪族が僅かの小城を築いた。
無論市街らしき物は無かったが、この地は海に近くまた旭川が流れており水運に恵まれたので、多くの船舶が往来し諸国物産の交易が行われるようになり諸所に市が立った。
「定まれる町屋もなく所々に五軒十軒と家が並び日を決めて市を立てり。西に市の町、下に二日市、七日市、上に四日市などと言えり。」と高木亮軒の著した「和気絹」に書かれている。
また岡山市史には、市の町が一と六の日、二日市が二と七の日、十日市が五と十の日にそれぞれ市を開いたと記してある。太閤秀吉が郊外に神社を建てそこで市を開き楽市と名付けて人を集め、城下町の発展をはかったのは有名だが、岡山城をこしらえた宇喜多秀家もこの都市計画をまねて、岡山城下町郊外の春日神社に七日市、天満宮に十日市、今村宮(内山下にあったものをわざわざ今村に移し)に西市、玉井宮に奥市、北方御崎宮には四日市とし、市を立てた。
このことから自然と地名となったものと思われる。
江戸時代には、備前国御野郡七日市村と呼ばれている。
明治4年の廃藩置県による戸籍法の改正で備前各郡を四十四区に分割する区制が施行され、七日市村は第四十二区に入っていた。

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