考証「海吉出村大師講とその終焉」

考証「海吉出村大師講とその終焉」

経過

海吉出村地区には、(他の村落もそうであったように)古くから庶民信仰が根付いていたようだ。

お日待ち、小祭り(長田のお稲荷さんのお祭り)、地蔵祭り、お伊勢講、金神講、大師講などがそれであるが、(やや趣を異にするが昭和20年代初頭のころまでは「お百度詣り」というのもあったが)筆者が成人し転勤生活を終えて帰郷したころにはお日待ちと小祭り、それにお伊勢講はすでに行われなくなっており、最後のお日待ちは昭和38年ごろではなかったかというが、お伊勢講についてはゆかりの「お燈明箱」の行方を含め、その終焉の顛末細部は詳らかでない。

平成23年7月、金神講(金光教のお講)が講連中の減少と高齢化、さらに伝承者(後継者)がいないという事情により閉講することとなったが、その顛末は海吉出村町内会ホームページの「温故知新」(平成23年7月13日)に所載のとおりである。

大師講の終焉

平成24年9月に至り、最後のお講として残っていた大師講の講連中の一人である内田蓉子から筆者あてに電話があり、先の金神講と同様の理由で閉講の運びとしたい旨の申出があった。

もとより、吾人に大師講の存廃を決める権限も、また、その立場にもなく、さりとて存続不能の事情は如何ともしがたく、たまたま小生が弘法大師を開祖とする真言宗の檀信徒、かつ、当該年度の今谷山長楽寺の出村檀家総代であることに併せ、平成6年(当時、小生海吉出村町内会総務部長)以来「丸端大師堂奉賛会代表世話人」としてお堂のお守をしてきた経緯もこれあり、加えて町内会相談役としてもこの申し出を看過できず、次の点を大綱として閉講に向けて事を進めることとなったのである。

  • 今秋吉日を選び、丸端大師堂に関係者相集い、祭壇を設え、経を唱えて閉講の行事を行う。
  • 伝承してきた大師講縁の品や祭祀用具は、お粗末にわたることなきよう然るべき容器に収納し、由緒と品目を明らかにして丸端大師堂にて永代保管~伝承する。

大師講閉講の行事

元来、出村大師講は「東講組」「西講組」の二つがあり、前出の内田蓉子は東組の講連中であるが、西の大師講も絶えて久しく、昭和30年度ごろに大師堂で行ったお講を最後に閉講状態にあり、西組講連中の一人である湯浅喜代子からも「お道具一式はわが家で預かっているが、この際、東講組と同様に閉講の運びとし、大師講縁の品々の保管についても東組同様の措置として頂きたい」旨の申出を受けたのである。

かくして、東講組、西講組に分け、二日にわたり丸端大師堂において厳粛に閉講の儀式が執り行われたのである。

■東講組の閉講行事

・日 時 : 平成24年11月27日 午後
・場 所 : 丸端大師堂
・出席者 : 講連中・・・内田蓉子、石井澄子(当日は欠席)
奉賛者・・・湯浅和子、大谷祝子
世話人・・・小野田利正
見届人・・・湯浅照弘
撮影者・・・村田倫子(電子町内会々員)

生駒副住職の読経に瞑目する参列者(東講組)

東講組閉講行事の参加者

■西講組の閉講行事

・日 時 : 平成24年12月 2日 午前
・場 所 : 丸端大師堂
・出席者 : 講連中・・・内田金子、内田純子、湯浅笑美子、湯浅喜代子、湯浅公平、湯浅智子、湯浅通男
世話人・見届人・撮影者・・・小野田利正

西講組の閉講行事の模様

西講組の閉講行事の参加者

大師講縁の品

祭祀に用いられ伝承されて来たいわゆる「お道具」類は、東・西講組別に別掲の「品目表」のとおりであり、東西別に専用保管函に収納~施錠し、丸端の大師堂に安置した。

●東講組「品目表」

●西講組「品目表」

向後

かくしてこの地に生まれ、根付いてきた庶民信仰=伝統文化の灯が、この2年の間に二つ(延べ3件)静かに消え、図らずもその歴史の瞬間に立ち会うこととなった命運を思うとき、まさに感慨無量である。

伝承の鐘の刻字によれば「文政十年四月吉日、西村和泉守作、上道郡海面出村東」などとあり、文政十年といえば1827年だから、2012年の現在を遡ること185年も前(もしくはそれ以前から)から大師講はこの地の先人たちによって営々として守り伝えられてきたことになる。

遺された「講順」書きによれば、1年に6~10回程度のお講が籤で決められて持ち回りにより営まれたようだが、村人たちは弘法大師とその訓えに対する純真にして敬虔な信仰と畏敬の念のうちに講当番の家に集まり、祭祀のあとは馳走に与かり、あるいは痛飲歓談し、まさに同士交流の場としても有効に機能したであろうことは想像に難くない。

庶民信仰に纏わる伝統文化行事は、いまや毎年8月23日に子ども会によって行われる「地蔵祭り」と秋祭りの「だんじり巡行」だけとなったが、昭和57年に創めてすでに30余回を数えた「納涼盆踊り大会」共々、この地に住む人々が歴史と伝統文化を重んじつゝもこれらの行事を住民の触れ合いと交流の場として、いつまでも大切に守り伝えてほしいと祈るや切である。

明治34年の講順を記した古文書

平成24年師走 記 (文:小野田利正、写真:小野田利正・村田倫子)

 

前ページ 消えゆく庶民信仰=金神講(こんじんこう)

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