ふるさと探訪

ふるさと探訪

(1)吉備津岡辛木神社(きびつおかからきじんじゃ)

「吉備若建彦命(きびわかたけひこのみこと)」を祭神とする神社
古くから、海吉・福泊地区の氏神様(うじがみさま)として親しまれており、正月や四季の祭礼には多くの善男善女が参拝に訪れている。

現在の建物(本殿、拝殿、幣殿、随身門など)は、文政12年(1829年)造営されたという。老朽化が進み本殿は平成10年に大修理が落成、巫女座は平成14年末完成に向けて新築中である。(平成14年11月現在)

(2)(旧)稲荷神社

明治末期のころ、海吉(出村)の住人内田縫次郎によって、吉備津岡辛木神社の参道脇(静観台北斜面の山裾)に建立された。
現在は、鳥居と苔むした祠(ほこら)が残っており、往時を偲ぶことができる。

(3)稲荷神社(2008年11月11日更新)

↑平成16年ごろ撮影

平成20年10月26日、町内会クリーン作戦の日に青年部主力を投入し、下草刈り、蔦蔓の刈り払い、社殿・拝殿周辺の立ち木の伐採、参道の廃竹材の撤去等の大作戦を展開し、写真のようにきれいさっぱりと、さながら“お身ぬぐい”したような稲荷神社が再現された。

山越えの参道は不便とみた縫次郎氏は、みずからの屋敷の一部に石垣を積み、社(やしろ)を建て、この地へ稲荷神社を遷宮した。吉備津岡辛木神社末社の一つ。
昭和50年代になって拝殿は改築されたが、今ではお参りする人もない。

(4)地蔵尊

地蔵尊は安政二年(1855年)にこの地に鎮座し、毎年8月23日には海吉出村子ども会の伝統行事の一つとして「地蔵祭り」が行われている。
前地蔵堂は大正9年(1920年)に再築されたが、その後百年近くの歳月で老朽化が進み、平成30年(2018年)に再築された。

この種の地蔵尊は近隣の各村落にはどこにもあり、村と住民の安寧を祈願して設置されたものだろう。とても柔和なご尊顔のお地蔵様だ。

(5)不動尊・大師堂

お堂は古くよりこの丸端台地にあり、昭和20年代まではこの台地の西端に建っていた。

不動尊(火の神様)立像と弘法大師(真言宗の開祖)座像が祀られている。

(6)丸端(まるはな)の井戸

操山南麓に瀬戸内の波がひた寄せていたころ、静観台の東端付近はさながら海に突き出した半島のような様相を呈し、「丸っこい山の端」ということから「丸端」とよばれるようになった。井戸の説明看板(写真)が現地に建てられている。

往時は釣瓶(つるべ)~のちに手こぎポンプであったが、平成11年には現在の電動ポンプになった。きわめて透明度の高い冷たい水がふんだんに出るが、水質検査の結果、現在では残念ながら飲用不適となっている。

(7)栴檀(せんだん)の木

「双葉より芳し」といわれるあの栴檀の木が植わっているのは、総延長20Kmに及ぶ倉安川水系の中でも海吉出村地内のここだけ。倉安川ができたころに植えられたとすれば、樹齢は優に300年を超えていよう。保存か開発か論議の末、平成の護岸改修工事により、これら栴檀の木はすべて切り倒されることとなった。

(8)船頭道(せんどうみち)

倉安川を高瀬舟が往来していたころ、舳先(へさき)に綱を結んで陸の上の土手道から舟を引っ張ったという。その足場となった道を、倉安川水系で唯一この丸端橋の下に見ることができる。

(9)かわいち

俗称「かわいち」(方言混じりでは「かぅぇーち」)
上水道のないご時世には井戸水を使うほか、このかわいちで野菜や農具などを洗い、また、畑への水やりなどにもこのかわいちが有効に利用された。

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