温故知新
温故知新(沿革)
私たちの住む海吉出村(みよしでむら)地区は、江戸時代初期にできた干拓地で、それまではひたひたと波が打ち寄せる海面下にありました。静観荘地区は丸端(まるはな)岬の高台で、近年までは畑、梅林、雑木林などでした。
海面村(かいめんむら)の誕生
江戸期、備前平野の干拓ラッシュがはじまるころ、笠井山の南東山麓には(現在の)百間川の西に端を発し西方へと延びる村落ができていました。
これが海面村のルーツです。後の海面新田(1659年に干拓)を含め、海面下にできた村・・・ということでそう呼ばれたのでしょう。
当初の海面村は、下表の「備前記」に山寄りの集落・・・とあるように、今でいうところの「本村」「中村」あたりのことだったようです。
出典によって記述に多少の違いはありますが、文献に残る往時の海面村の一端を垣間見ることにしましょう。