だんじり
秋祭りの里の三大風物には、幟(のぼり)、額(がく)、そしてだんじりがあげられます。
どこの村(今でいう町内会)にもだんじりがあって、秋祭りの晩には2夜にわたり(一時期は3夜続けて)男の子たちが精いっぱいの声を張り上げて♪こちゃえ〽こちゃえ〽と歌いながら、日暮れどきから夜遅くまで村落の隅から隅までだんじりを牽き回し、“昔子ども”連中の回想によれば「東山峠付近まで行った」そうです。
戦前は、もちろんどの道路も舗装などしてなく、自動車もたまに通るか通らないかという時代で、街路灯などもほとんどない暗い夜道をだんじりを牽くのですから、出発するときには紙と竹籤(ひご)でできた紅ちょうちんいっぱいに灯りを入れる(と言っても小さなローソクに火を灯す)のですが、悪路に加えてだんじりの4個の車輪は樫(カシ)の丸太を切った木製とあって笹竹共々ちょうちんもガタガタと揺られっ放しですから、公会堂へ帰着するころには灯の点いたちょうちんは皆無状態で、燃えて骨だけになったちょうちんもいくつかぶら下がっているという有様でした。
昨今は道路交通事情もあって昔のような無茶なことはしなくなり、だんじりそのものも車輪はゴム輪とベアリング仕様にグレードアップされ、紅ちょうちんの灯りもCDの祭り囃子もバッテリー給電方式になっていて、まさに今昔の感に堪えないものがあります。
だんじりは欅(ケヤキ)製の台座の上に直径65センチの大太鼓を載せたもので、台座の板裏には「世話人 款待社 明治十二年十月拵之」との墨書があります。(款待社とは、当時の出村村落にあった壮年たちの友好・奉仕団体です。「拵之」は、「これを拵(こしらえ)る」と読みます)
時は移ろい、だんじり巡行は備前太鼓唄の卑猥な替え唄、連夜に及ぶ無謀とも言える遠征夜行、男の子だけが牽くだんじり・・・などは往時の様相に決別を告げましたが、秋の夜の楽しいお祭りの思い出づくりと共に、先人たちがこの村(街)の安寧と五穀豊穣を祈って拵えただんじりを、後の世まで大切に伝えたいものです。
(文責:小野田)