野菜の害虫対策5(白桃とトウモロコシ)
投稿日:2020年7月10日
野菜を収穫するためには色々な防御策を行う必要があります。
第5回目は白桃とトウモロコシの袋掛けです。
今回もOさん宅の畑から取材させていただきました。白桃の袋掛栽培は古くから研究された岡山の桃作りの技術が伝承されています。歴史が良くわかるJA玉島のウェブと岡山シティーミュージアムの記事を掲載させていただきます。チョット中身を見せていただきましたが、もう美味しそうでした。
岡山県産の白桃は、どうして高級フルーツと呼ばれるのか?
岡山県といえば、桃太郎。その昔「吉備の国」と呼ばれていました。
桃太郎の「お腰につけた吉備団子、一つ私に下さいな」の吉備です。
桃太郎だから桃というわけではないのでしょうが、今ではすっかり有名になった岡山県の桃づくり。そのはじまりは、明治初期にまでさかのぼるといいます。
当時、中国から入ってきたのは「上海水蜜」「天津水蜜」
それから、本格的な桃づくりが行われるようになりました。
そんな桃作りの過程で明治34年に大久保重五郎が、「上海水蜜」を改良した「白桃」を作り上げました。
岡山県は、桃づくりに適した温暖な気候にも恵まれています。
しかし、それ以上に熱心な先人たちの手により改良・開発が続けられ今までに30品種以上の桃が誕生したのです。
白桃は、ほかの生産地では見られない白さときめ細やか口あたりであっという間に岡山の名産になりました。
岡山の桃はなぜ白いの?その「白さ」の秘密とは?
岡山の桃の一番の特長は、その上品なまでの「白さ」です。
この白い皮の秘密は、岡山ならではの「袋掛栽培」。
まだ桃の実が青くて小さく育ったときに、その実一つ一つに手作業で袋をかけていきます。
それは、たいへんな作業ですが、その実は太陽の光を直接浴びません。
ですから、桃は赤く色づかず、透き通るように白くてなめらかな口あたりの桃に育つのです。
袋掛栽培のメリットは、それ以外にも桃を傷つける風や雨、虫などからも桃を守るためでもあるのです。
だから、より美しい桃が育つわけですね。
農家の方達が、ひとつひとつ丁寧に袋を掛けていき大事に育てられて作られる「白桃」。
自分の子のように、一つ一つ手塩に掛けるように育てているのです。
その袋の種類一つをとってみても、色や紙質なども色々と工夫がされていて様々なんです。
袋掛栽培は、長い間の研究を重ね、先人たちが工夫に工夫を重ねてきた「伝統技術」とも言えるわけですね。
白桃がどうして高くて「高級フルーツ」といわれるかを分かっていただけたかと思います。
岡山桃栽培創始者のものがたり(岡山市シティーミュージアムの記事より)
乳白色の果皮が美しい岡山の白桃は、明治期に誕生しました。
明治8年(1875)、中国から上海水蜜、天津水蜜などが日本に導入され、岡山県でも最初はこれらの品種が栽培されました。その後、栽培面積、生産量とも拡大し、熱心な栽培家たちは新品種の発見・開発を競うようになりました。
岡山で「果樹栽培の祖」として知られる小山益太(1861-1924)は、現在の岡山県熊山町の豪農の家に生まれました。広大な果樹園で桃、ブドウ、梨などを育て、交配やせん定、病害虫防除などの技術を独学で開発、明治28年(1895)には桃の新品種「金桃」を生みだしました。また後進の指導にも熱心で、「白桃」を創成した大久保重五郎も小山の門下生です。
大久保重五郎(1867-1941)は現在の岡山県瀬戸町に生まれ、小学校を卒業すると小山益太に入門し、漢学と果樹栽培を学びました。桃づくりに情熱を傾けた大久保は、明治34年(1901)に上海水蜜系とされる新品種「白桃」を創成。強い甘みとねっとりした食感から最高の水蜜桃と注目され、栽培が広まりました。現在、日本の産地で中心品種となっている桃の大半も、ルーツは「白桃」とされています。
昭和に入っても新品種の登場は続き、昭和7年(1932)、岡山市芳賀の西岡仲一が「清水白桃」を公表しました。とりわけやわらかい食感が特徴の「清水白桃」は、現在も高品質の白桃の代名詞として知られています。
戦時中、果樹栽培は窮地に立たされますが、戦後になると栽培家の熱意と努力により桃栽培は急速に復興、ブドウと合わせて果物王国・岡山の地位を築くこととなりました。
こうした先駆者たちが培ってきた高度な技術と、手間を惜しまない姿勢は今も変わることなく、味と食感、見た目の美しさ、すべてにこだわった岡山の桃作りが続けられているのです。
参考文献「岡山のモモ 1997」第42回全国モモ研究大会実行委員会資料準備部会
「岡山くだもの紀行」平成12年 山陽新聞社
「岡山県歴史人物事典」平成6年 山陽新聞社
カテゴリー:ふるさとの花や生き物 古里への想い 里山保全会