< 第 38 回 > 岡山市 大戸(おおど)地区の 風土記(2)  平成20年3月1日
会 長 : 宇野 照夫

       

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 1.大 戸 の 名 前 の 由 来

大戸の名前の由来
大戸地区から 南方を望む (右 : 宗谷山  左 : 高倉山)


大戸地区から 南方を望むと、西方からは宗谷山が、その手前に 東方からの高倉山が迫ってます。

その2つの山の様子が、大きな引き戸を 閉じた様に見えます。

この風景から、この地区が大戸と呼ばれるようになったそうです。

この引き戸の向こう側にある岡山市の中心部までのアクセスは、約10分です。便利です。

また、この引き戸のおかげで、気温は岡山市内より1.5℃も低いです。
夏は涼しくて、住みよい環境です。





 2.限 界 集 落

かって19戸あったこの地域も、今や4戸になりました。
高齢化が進み、限界集落となってしまいました。

立派な棚田があるのですが、労働力が少なくなったので、米作はなくなりました。

現在 この地域では、イノシシ、タヌキ、キツネ、ヌートリア達が、大活躍しています。









竹林
かっての 屋敷跡も、竹藪に



 3.安 全 ・ 安 心

崩落現場
落石直後の現地

復旧した崩落現場
復旧された現在のJR線


大戸地区は、南流する旭川が作る狭い谷底にあります。
山は急な斜面なので、落石の危険もありました。

平成18年11月には 当地区と下牧地区の境界辺りのJR西日本津山線沿いの山で 岩盤の崩落が発生しました。
落石による列車の脱線・転覆により、多数の負傷者が出ました。

再び このような事故が起こらないように、事故後 落石防止対策が行われました。
また、線路脇には落石止柵、そして柵に落石検知装置を設置して、安全・安心が確保されました。
関係者の努力により線路の復旧作業が完了し、開通したのは4ヶ月後でした。


またJRに併走する県道218号線(玉柏 野々口線)も、安全・安心が確保された上で 開通しました。














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