< 第 36 回 > 岡山市 「竜ノ口山」 の 風土記    平成20年1月1日
資 料 : 須々木 壽志
文 責 : 内 田 敬 治  

       

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 1.浮 世 絵 に 見 る「 竜 ノ 口 山 」 

浮世絵 諸国名所百景 「備前竜口山」
歌川広重(二代)  諸国名所百景 「備前龍口山」


浮世絵師 歌川広重(二代)の代表作に「諸国名所百景」があります。
全国の名所の百景が描かれています。その百景のひとつに「備前竜口山」が 描かれています。
制作年は 万延元年(1860)です。


牧石学区の東方にそびえる急峻な竜ノ口山には、戦国時代 竜ノ口城が築かれていました。
急峻さ ゆえに、難攻不落の城でした。


広重が描いた「備前竜口山」。
ものすごい雨風の様子が、みの傘をつけ、鍬(くわ)をかついだ農夫の姿勢によくあらわされています。

絵には、すご味があります。





(絵の右上の赤い部分に、「諸国名所百景 備前龍口山」と 記しています)







 2.歌 川 広 重 (二 代)


広重・北斎 等は、それまでの浮世絵の主要テーマであった 美人画と役者絵だけでなく、新しい方向として 風景画を独立した分野として確立しました。
彼らは 浮世絵師中 最高の画家として、世界中に知れわたりました。
   
その初代広重の高弟 重宣は、安政5年(1858)に初代の没後、その年に広重の養女お辰と結婚して 二代広重を襲名しました。
そして 初代の画風を忠実に継承して 風景画家として活躍しました。
代表作の「諸国名所百景」の他に「東都三十六景」「隅田川八景」「近江八景」などがあります。

急峻な竜ノ口の山容は、そんな広重(二代)に、鮮烈な印象を与えたのかもしれません。

       

 大原橋から見る、竜ノ口山
大原橋から見る、現在の竜ノ口山





 3.浮 世 絵 に つ い て

浮世絵は江戸時代に咲いた町人文化の華として知られる芸術です。日本の庶民の心を描き、日本の美を表現したものです。

浮世絵は、元禄年間(1688〜1704)に 菱川師宣によって始まりました。
時代の変遷を経ながら、明和2年(1765)には 鈴木春信が 多色摺版画を考案しました。
その色彩の美しさは まるで錦のようだと感嘆され「錦絵」と呼ばれました。

浮世絵版画は、絵師と彫師と摺師との総合芸術です。ちょうど陶器が窯の中で 焔の変化によって、作者の予測とは違うものが出来あがるように、彫師の手腕によって線に鋭さを増し、摺師の技術によって、抒情性と情感が生まれます。
この点が 同じ浮世絵でも、肉筆浮世絵とは ちょっと違っています。
たった1枚だけの絵でなく、木版画では複数の作品ができあがるので、これが広く大衆の手に渡り、国の内外に拡がっていきました。

でも 浮世絵は風俗画であり、芸術を作る目的で作画したのではありません。伝達と報道性が主目的ですから、浮世絵師は自己の表現よりも 伝達を第一にしていました。
したがって 浮世絵全てが芸術品ということではありません。
しかし 歌川広重などの作品は、立派な芸術品です。世界に通用する高い価値を持っています。

その芸術性は時代を超え、現在もなお世界の美術の動向に影響を及ぼしているようです。

山陽放送(株) 発行 「浮世絵の美」 参 照


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