(牧山校百年誌からの参照)
明治40年の事で、日時は不明です!
牧山校6年生の岡山方面への修学旅行に際して、舟主(下牧上谷の人)から 高瀬舟への便乗が許されました。
そして旅行当日の旭川下流での出来事です。
舟には 親方船頭1名、小船頭2名、そして 引率の校長 他 生徒21名が乗船していました。
遭難場所は、岡山市四日市町の東です。現在の御野で、岡山市上水道取水場付近でした。
第17師団の設置に際してトロッコ専用の木橋が、旭川を横断して架設されていました。
さらに その下手には、工兵隊の作業場がありました。
高瀬舟には 薪炭材、莚(むしろ)等が満載されており、中央の一部に 生徒達が乗せられました。
当日は 宵の雨で増水、濁流・渦巻きが 物凄い中を 舟も威勢よく走りました。
この舟が 岡山城を目前にして 前記の木橋の橋脚に激突したのだから 如何せん!!
衝突の反動で、舟尾で行動していた2人の小船頭と上部の積荷が共に河中に飛ばされました。
舟が次第に傾斜し、濁水が舟尾より入りだしました。
女生徒は 泣き叫び、男子は水に飛び込まんとあせり、悲惨な状況になってしまいましたが、工兵隊が鉄舟で出動し、辛くも全員救助されたのでした。
生徒が道路に出たときは、土地の人が衣類・救援具を携えて参集されつつありました。
この中を 土地の方の誘導で 御崎宮に引き上げ、濡衣、昼食等に万全を期していただきました。
これはみな 四日市の人の斡旋によったものだと思います。
この後 生徒等は、岡山公園・五百羅漢を見学して 帰途につきました。
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