|
|
大久保の渡し船 (大久保から牧山へ)
|
|
|
|
工事中の潜水橋 (対岸は牧山地区)
|
|
|
|
潜水橋の完成式 |
|
|
|
渡り初め |
|
|
|
7月の潜水橋は、出水期のため、手摺りを外しています
|
|
|
|
高倉山の山頂から見た潜水橋 (対岸には JR牧山駅) |
|
|
|
(大久保潜水歩道橋については、第10回の風土記に掲載しましたが、今回もう少し詳細に記述します)
JR津山線で 岡山駅から4つ目の小さな無人駅の 牧山駅。
プラットホームに降り立てば、そこには市街の煩雑な様子とはがらりと変わって、旭川の清流と木々の緑が美しい、どこかなつかしい風景がひろがります。
駅の対岸には 戸数34戸の、大久保の集落。
そこに住む人々の暮らしに欠かせないのが大久保潜水橋です。
幅 1.5メートル、長さ 約100メートルの鉄の橋。
13本の鉄骨の橋脚の上に、鉄板がボルト止めされただけの、ごくごくシンプルな構造で、橋上に立てば、旭川の水面から足元までの高さは、せいぜい2メートル。
当然増水時には 水中に没するところから、「潜水橋」という名がつきました。
四国、四万十川のそれなどは、つとに有名なようですが、岡山市内、それも旭川本流にこのような橋がかかっていることを知る人は少ないようです。
目の前の牧山駅と大久保地区を結ぶ、人々の悲願だったこの橋が完成したのは、昭和53年のこと。
上流 約10キロの野々口の葛城橋、下流 約7キロの大原橋を利用するにはあまりにも遠すぎます。
戦前から 渡し船にたよっていましたが、それも長年 船頭さんをつとめた方のご高齢により存続が危うくなりました。
その後地区の人々が輪番制で船こぎ輸送にあたりました。
しかし わざわざ休暇をとってまでの当番や、しろうと船頭で危険が伴うなど、運営が維持できなくなりつつありました。
このままの状態が続いてはと、地区の人々の橋建設運動が始まりました。
関係行政機関との1年弱に亘るねばり強い交渉により、ようやく建設が本決まりしました。
着工した橋は 地元負担で 総工費は 約1300万円。
資金は 農協(現JA)の融資を得ることができました。
後日になり、岡山県と岡山市からも補助金を頂くことができました。しかし、なお足りない 数百万円は大久保地区の人々の積立や、足を粉にして歩いて集めた寄付金にたよりました。
洪水になれば潜水して渡ることができない小さな橋、しかし洪水が収まれば元の橋の姿と機能を回復します。
それ故、利便性はいうまでもありません。
最高です。
地区の人々にとってこの橋の完成は、規模こそ違えども 瀬戸大橋の完成以上の大きな喜びです。
|
平成4年8月9日付けの 山陽新聞 ・ 大手饅頭 伊部屋の広告掲載シリーズ 「大久保潜水橋」から引用 |
|
|