< 第 30 回 > 岡山市 畑鮎(はたあゆ)の 風土記(2) 平成19年7月1日
会 長  :  平松 史雄
文 責  :  大江  進

       

写真をクリックすると、拡大表示します。もとに戻る時は、ブラウザの「戻る」をクリックして下さい。

 1.力信流(りきしんりゅう)武術 の 里

中央:大長九郎  右:大江 進氏
中央が 大長 九郎、 右は 大江 進 氏

在りし日の 大長九郎氏 の 棒術指南風景
ありし日の 大長 九郎の 棒術指南風景

大長九郎氏の墓碑
大長 九郎の 墓碑



大長九郎行光(だいちょうくろう)は、牧石地区の畑鮎に生まれた武術の達人でした。

九郎(くろう)は 当地区出身の 力信流 七代目伝承者の大江安左衛門吉光(旧岡山藩の武術師範)の門人となり、その後 八代目伝承者の 大江和三郎宗光に師事し、柔術、剣術、居合術を修行しました。

明治31年には力信流の免許皆伝を授けられ、やがて九代目伝承者となります。


九郎は 居合道十段範士・剣道も範士を授与され、昭和30年には 古武道力信流 杖術保存者として無形文化財にも指定されました。(昭和39年 没)

当地区では 上記の七代〜九代目までの3人の力信流伝承者を輩出し、また免許皆伝となった平松文平など 歴史に名を残す多くの武術の達人を生み出してきました。

江戸時代末期から 明治・大正・昭和の中期まで、まさに「武術の里」だったのです。


力信流とは、官部嵯峨入道家光が開いた武術流派です。
柔術・剣術・棒術を中心に、居合、小太刀術、縄術、十手術、鉄扇術を含む内容の流派です。
官部嵯峨入道は竹内流を学んだ後、愛宕山(京都)に籠もり、修験者から秘伝を授かり、力信流を開いたと伝えられています。


現在、力信流を継承しているのは 九郎の高弟であった美和氏の孫にあたる 美和靖之の主宰する 三島武修館(静岡県)となっています。












 2 大 江 吉 光 の 碑 銘
薬師院の山門をくぐると、静かなたたずまいの境内左奥に、大きな石碑が建っています。

石碑の碑文には、当地出身(当時は、御野郡畑村)の 力信流七代目伝承者 大江安左衛門吉光にまつわる話が書いてあります。

しかし 明治30年に建立された石碑は傷みが進んでおり、碑文が読みづらくなり、保存が望まれています。








当地には 再建された道場があります。
道場では 力信流武術・合気道・太極拳などの修行をしている地域の方がいます。


かつてこの地で栄えた「力信流 武術の里」を復興したい!!

大きな夢が膨らみます。



































力信流 七代伝承者 大江安左衛門吉光の 石碑
力信流 七代伝承者 大江安左衛門吉光の 石碑

棒術の練習風景
棒術の 迫力ある 訓練 (大江 進、大江一成 氏)

居合いの稽古(大江一成氏)
めずらしい形の 居合 (大江一成 氏)



 3.代々伝わる巻物

巻物を読み解き 先輩達の偉業を偲んでいます
巻物を読み解き 先輩達の偉業を偲んでます

力信流 免許皆伝書(巻物)
平松文平への 力信流免許皆伝書(巻物)



地域には 免許皆伝書(巻物)が伝わる家があります。

公民館に持ち寄り、巻物を読み解き 地域の先輩達の偉業を偲んでいます。

免許皆伝書は もともと秘伝書であり他人には非公開のものであったと思われます。
しかし今 開いて驚くべきは武術に関する記載はなくて、人の道の生き方ばかりが 書かれています。
現代の我々の生き方にも共通した「なるほど」と思わせるものばかりです。
面白い1箇条としては『酒を飲み過ぎ 大酔いするな』とありました・・・。


みなさまと免許皆伝書の勉強会を行い『現代の生き方の免許皆伝』を 目ざしてはと思います。

















<<<学区の皆様の 投稿をお待ちしています>>>カウンター


前の風土記へ 最初の風土記へ 次の風土記へ