< 第 24 回 >  岡山市平瀬地区の風土記(2)     平成19年1月1日
 会 長 : 小野   保
文 責 : 太田 吉彦

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 1. 平瀬の不思議 ( 二つの岩の物語り )

先回の <第7回>平瀬地区風土記では 平瀬の名前の由来について紹介したが、この平瀬は名所、旧跡等に限っては、現存する物は少ない。

今回は不思議な岩についてのご紹介をしたい。文書、史実の記録も無く、ただ、先達の残した我々へのロマンと郷愁である。


 2.あ な し

あなし

穴があるのに 「あなし」 と呼ばれる岩


平瀬地区のある山腹に張り付いたある岩は、いつの頃からか 「あなし」 と呼ばれ、昔の子供達の遊び場の一つであった。

標高100m?はあるだろう。
春には弁当を持って登り、周辺の“松緑”や“あけび”を取って楽しんだものである。

上部は平らで町内が一望出来る展望台でもあった。
岩の中には丁度すべり台の様に 上から下にくり抜かれて湾曲しており、滑って下りる事が出来る。 現代のサーフライダーである。

穴があるのに 「あなし」 と呼ばれる由来を誰も知らないし、記録もない。
誰が いつ なんのために、どうやってあけたのか謎のまま、今日に至っている。
今は昔、訪れる人も無く、岩は苔むしてはいるが昔のままである。

戦国時代、この地は 竜ノ口、船山等の山城があり、武士、村人達の隠れ場だったのだろうか。
途中には江戸時代の無縁墓も多い。

ゲームソフトで家にとじこもって遊ぶ最近の子供達にとっては、先人が残した手近にある、不思議な 夢 の世界ではないだろうか。
いつの日か 「あなし探検隊」 で子供達と登ってみては如何だろう。





 3.道ばたの巨大な岩

旧山陽道は平瀬地区の山すその道である。 昔は赤磐、馬屋から この道を通り、御野で河を渡り 城に通じていた。
その道端に巨大な岩があり、祠(ほこら)を祭り ご神体として存在している。

その昔 山腹から崩落したと伝えられているが、時代も 時期も 藪の中である。
今では、落石だと知っている人達も少なくなりつつある。
当時は人家も無く、災害もなかったのだろうか。
このような岩は山道を登ると随所に見受けられる。

津山線の事故の発端となった崩落が裏山だとすると、美しい平瀬の夢とロマンとばかりとは言っておられないのも現実であろう。世の中には必ず裏と表がある。

緑と河に囲まれた牧石、そして平瀬に先達の残した遺産を守り、保存し、後世に伝えていくのも我々の務めであろう。

山腹の無縁墓と岩の祠は、今日も人々の無事を祈ってくれているのだろうか。



道ばたの巨大な岩

道端の巨大な岩と祠







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