@「かんすのつる」の由来・・・笠井山の力持ちで有名な七郎左衛門が、大阪城築城で功を立て、これに感心した豊臣秀吉が彼に片山の姓と「金のかんす(お茶をたてる金でできたやかん)」を褒美としてやりました。
これ以降、代々、祝い事のあるときにこのかんすでお茶を振舞ったという伝説があります。しかも、このお茶を飲みにわざわざ遠くからきた人も多かったとか。
一方、旭川と、現在の三野公園の境が昔は細い道でした。そこで、当時の人は、この細い道が「かんすのつる(やかんの持ち手)」に似ているということで、この名前をつけたようです。
なお、気になるこの「かんす」ですが、明治ごろまではあったとの話ですが、その後、行方不明になってしまったそうです。
A「備陽紀」という古典にもっと詳しいことが載っているのではないかと思われます。現在、岡山大学にあるとの情報がありますが、私個人で確認ができていません。
B善左衛門の切腹に至るまでの伝説は、河本町内在住であった二人のお方(お二人とも故人)から聞き取ったものです。
C白い石の伝説は、笠井山の薬師堂近くにご在住のお方に伺いました。
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