城下上出石町から北二十八町にあり、御野郡三野郷(御野郷)に属した。東は大川向こうは中原新田、南は宿村、西は津高郡横井上村、北は河本村に接した。 旭川の氾濫源に当たり高燥の地であったため、原という地名がついたのであろう。 明治三十一年(1898)中国鉄道(現、JR津山線)が開通し、昭和四年(1929)備前原駅が設置された。大正十年(1921)牧石村に編入され、昭和二十七年、岡山市に編入合併された。古くから野菜・果物の産地であったが、市街地に近く住宅地として近年人口が急増している。
小高い山、片山の山頂に立地する前方後円墳。 全長約55m、後円部径30m弱、高さ約5mであるのに対し、前方部はこれより3mばかり低く、長く伸び、前端が顕著に開いて前端幅約23mとなる。 このように古式の墳形を採用しているだけではなく、墳丘外の斜面から都月型の埴輪片が採集されている。 以上のことから前T期後半の築成と判断されている。
真言宗御室派の寺院で正式には、西谷山法萬寺。 天平勝宝年間(749〜757)報恩大師の開基と伝えられています。 本尊の聖観音立像は平安末から鎌倉初期の造立とされ、保存の良好な立像で昭和41年6月に岡山市の重要文化財に指定されています。