写真をクリックすると、拡大表示します。もとに戻る時は、ブラウザの「戻る」をクリックして下さい。
中原地域(旧中原村)の氏神様は、地域にはなく 岡山市三野の天神社(妙見宮)で、下ノ原の昔参道入口であったと推定される地点に、嘉永7年の年号が刻まれた、当時を物語る奉燈があります。
荒神社の境内に在り、五角柱地神碑には、天照皇太神・倉稲魂命・埴安姫命・大己貴命・少彦名命の神名が刻まれています。
上ノ原・中ノ原・下ノ原の集落の菩薩、また氏族の菩薩、さらには、それぞれの家庭で屋敷の菩薩として祀られており、そのなかでも、下ノ原のお地蔵様はイボ地蔵との言い伝えもあります。
中原地区の氏神様(岡山市三野の天神社)の祭りを始め、荒神社・祠・石造の神仏など、それぞれの祭り、また、諸神講・金刀比羅講・大師講などの講が数多く取り組まれた時代もありました。 また、お盆には万燈会の行事も行われていました。 現在は、毎年秋の体育の日に、荒神社の境内を基点に、「こどもダンジリ」を中心とした秋祭りが行われています。 ほか、「お日待ち」の神(仏)事が、集落の関係者で行われています。
中原の地域が川中島であった頃は、水運業や牛の放牧なども行われていました。 土地が砂地のため、水田は少なく、畑作の野菜や穀物、染料の藍の栽培が行われていました。 そして、昭和58年にJAの指導により、青ネギの生産が計画され、安定した収入として大阪方面に共同出荷しています。