高野尻は 金山(499.5m)の南側中腹の標高300m前後にある山村です。 町名は 昔 弘法大師(空海)が806年 空海眞言宗を創設 この地へ来たからとか、高野聖(こうやひじり)がここに居てなまって高野尻になったという説があります。 寛永備前国絵図には小屋尻村とあり、高野尻村となったのは寛永15年(1638年)以後 正保2〜3年(1645〜46)の間である。 明治9年 中野村と合併して、明治22年 牧山村高野尻となる。昭和28年 岡山市へ編入。 明治・昭和の初期には戸数が20戸位あったが、現在は高齢と過疎化によって13戸18人に減少した。
祭神は 仲哀天皇・神功皇后・応神天皇で、神功皇后は身ごもったまま三韓征伐に行き、その帰路 筑紫で出産(後の応神天皇)し安産だったので三社八幡宮は安産・除火難・学問の神として崇められている。 建立時は不詳であるが、鳥居に安政3年の彫り込みが見られます。
行事として 当家(とうや)・お日待ち(おひまち)・百万辺(ひゃくまんべ)・その他 礼拝講が多々あった。
毎月1日には神官が参拝し、毎月末に全員が清掃。 3月彼岸入りには春の大祭、10月12日は秋の大祭を行っている。
弘法大師が捻ったといわれる石が御本尊で、お堂の周囲には コの字型に末社(小さい祠)が20社あり、外に八大龍王後足大師が祭ってある。 灯ろうには文久年間の彫り込みが見られる。
毎月末には全員で清掃し8月20日が大祭日で、近隣の人が多勢参詣される。イボにご利益があるといわれる。
高野尻町内に入ってすぐ西側 旧道に祀っていた祠を、平成17年11月3日 町内全員で、市道東側に 約80cm角・厚さ11cmの天然天板とし新設した。 山門の鎮守として堂の守護に、伝教大師が堅牢地神本地佛を祭祀した。 国家人民を守護すると信じられる善神である。