< 第 12 回 >  岡山市 畑鮎(はたあゆ)地区 の 風土記     平成18年1月1日
 記  :  太田 稔
 
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 1.地 区 の 風 景


畑鮎地区の風景

畑 鮎 地 区


 2.町 名 の 由 来


畑地区と鮎帰地区との境付近に、切旗という地名の、かって棚田が広がっていた地域があります。

その昔、鮎帰側との負け戦で 陣地を示していた旗が ことごとく切られてしまったのが元で、その地名が付けられたとの 言い伝えがあります。

そして、旗から 畑という地名になり、三野郡畑村から鮎帰と合併し、畑鮎となりました。

この戦以来、畑地区では 旗を立てたらいけない取り決めが 守り続けられていたと言われています。

切旗地区の 旧棚田の風景

かっての 綺麗な棚田にも 草々が・・・。

 過 疎
元気なお年寄りのかたがた
意気盛んな 地区の お年寄り達



畑鮎地区の面積は、牧石学区の中では飛び抜けて広く、昭和の初めには120世帯もの人々が住んでいました。

しかし、現在では60世帯位になっています。




 4.故 三木 行治 岡山県知事 の 出身地 


故 三木行治 岡山県知事は、畑鮎の藤井家で生まれ 6才まで過ごしました。
その後、横井上と畑鮎(笠井・片山家)とを行き来し、家事手伝いと勉学と励みました。

昭和26年、厚生省の局長から 民選第2代知事に当選、「産業と教育と衛生の岡山県」をスローガンに 県勢の発展に努められました。

4期目 在任中の 昭和39年9月 他界され、葬儀は 岡山県民葬として営まれました。




三木知事の生家の前で、町内の方々と。

畑鮎地区で三木知事と地元の方々。
左から4人目が 三木知事 )



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