畑地区と鮎帰地区との境付近に、切旗という地名の、かって棚田が広がっていた地域があります。 その昔、鮎帰側との負け戦で 陣地を示していた旗が ことごとく切られてしまったのが元で、その地名が付けられたとの 言い伝えがあります。 そして、旗から 畑という地名になり、三野郡畑村から鮎帰と合併し、畑鮎となりました。 この戦以来、畑地区では 旗を立てたらいけない取り決めが 守り続けられていたと言われています。
畑鮎地区の面積は、牧石学区の中では飛び抜けて広く、昭和の初めには120世帯もの人々が住んでいました。 しかし、現在では60世帯位になっています。
故 三木行治 岡山県知事は、畑鮎の藤井家で生まれ 6才まで過ごしました。 その後、横井上と畑鮎(笠井・片山家)とを行き来し、家事手伝いと勉学と励みました。
昭和26年、厚生省の局長から 民選第2代知事に当選、「産業と教育と衛生の岡山県」をスローガンに 県勢の発展に努められました。 4期目 在任中の 昭和39年9月 他界され、葬儀は 岡山県民葬として営まれました。