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橋本町の由来
資料は『岡山市の地名』より引用しました
 『京橋御門について』と『京橋渡り初めについて』は小串連合町内会様のご厚意により提供して頂きました『わがふるさと小串』より引用させて頂きました。






橋本町(現、京橋町)由来その一

 江戸時代は、城の南、三之郭の町人町で京橋の西のたもとにあった。東は旭川に面し、町名・町界のほぼ定まった延宝期(1673〜81)以降は、南は船着町、西は西大寺町、北は川崎町にそれぞれ接していた。町の北寄りを東西に山陽道が通り、町並みはその両側にあった。川と街道沿いの町であった。江戸前期の「寛永城下絵図」「慶安城下絵図」ともに橋本町とある。成立は宇喜多時代である。

 橋本町の名は、文禄二年(1593)新しい京橋がかかり、京橋の本ということから名づけた(温故秘録)。京橋架橋は慶長(1596〜1615)のはじめとする説もある(備陽国誌)。各地誌は、宇喜多秀家時代では一致しているが、架橋や町名のついた正確な時代はわからない。また橋がかけられる前に、古い名前があったかどうかも不明である。

 城下町の東西をつなぐ京橋は、昔、少し川上にあり、東のたもとは古京町であった。宇喜多秀家の時代に川下に移し、東岸の小橋町から小橋、中橋、京橋の三つの橋をかけ、東中島町・西中島町・橋本町をつないだ。京橋という名は橋が北にあったころ、東岸の橋のたもとで京・大阪の呉服物を扱う店が増えて京町の名が付き、それにちなんだという。


 『岡山市の地名』より 原文のまま
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