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辛川市場町内会 |
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| 岡山市北区辛川市場は、北端は山陽自動車道、南端は中山中学校ま でで、南北に流れる東の中川と西の砂川に挟まれた細長い地帯です。 古くはこの地域で市が開かれていたことから、辛川市場の地名が生まれ たと言われています。奈良・平安時代の古代山陽道は辛川市場を通って おり、この地に駅家(うまや)があったと推定されています。 戦国時代にはこの地域一帯で、毛利配下の小早川軍と織田配下の宇喜 多軍が戦った「辛川合戦」がありました。 昭和30年代ころまではこの地域一帯は田園の広がる農業地帯であった が、高度経済成長期以降、市街化区域で農地の宅地化が進み、専業で農 業を営む人はいなくなった。 〈辛川市場の変遷〉 ・1868年(明治元年)明治初年度時点 備前岡山藩領の辛川市場村 ・1878年(明治11年)郡区町村編制法施行により津高郡発足(津高郡辛川市場村) ・1889年(明治22年)町村制施行により一宮村・尾上村・西辛川村・ 辛川市場村が合併して津高郡一宮村発足(津高郡一宮村辛川市場) ・1900年(明治33年)津高郡と御野郡が合併し御津郡となる(御津郡一宮村辛川市場) ・1955年(昭和30年)御津郡一宮村・馬屋下村・平津村が合併し一宮町発足 (御津郡一宮町辛川市場) ・1971年(昭和46年)一宮町が岡山市に編入(岡山市辛川市場) ・2009年(平成21年)岡山市が政令指定都市に移行(岡山市北区辛川市場) |
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| 世帯・人口(R7.3末現在) ・世帯数 758世帯 ・人口 1,811人(男:881人、女:930人) ・65歳以上の人口 421人 ・高齢化率 23.2% (参考:岡山市の高齢化率27.2%) |
・年代別・年齢別人口分布、高齢化率推移ははこちら ・世帯数・人口の推移はこちら ・子どもの数の推移はこちら ・詳細地図はこちら |
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令和6年度・令和7年度の町内会役員が決まりました。
※町内会役員の任期は2年です(令和8年3月まで) 民生委員の任期は3年です(令和10年11月30日まで) 農業水利土木委員の任期は2年です(令和8年3月31日まで) |
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〜安全で安心できる地域社会を構築しよう〜
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| ・町内会規約(R4年3月改正) ここをクリックして下さい(PDFファイル) ・防犯カメラ管理運用規程 ここをクリックして下さい(PDFファイル) ・「小丸山緑地みんなの森」愛護委員会会則 ここをクリックして下さい(PDFファイル) ・辛川市場町内会自主防災組織規約 ここをクリックして下さい(PDFファイル) ・辛川市場エリア図 辛川市場エリア図(BMP) 辛川市場概略図(JPEG) ・辛川市場班区域図 辛川市場(上)はここ (PDFファイル R7.1.14更新) 辛川市場(下)はここ (PDFファイル R7.1.14更新) |
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| ・辛川市場防災マップ ここをクリックして下さい(PDFファイル) ・辛川市場ハザードマップ(PDFファイル) 洪水ハザードマップ 土砂災害警戒区域図 地震危険度マップ 地震ゆれやすさマップ 地震液状化マップ ため池浸水想定マップ ・辛川市場消火栓位置図 ここをクリックして下さい(岡山市地図情報) ・消防ホース格納箱位置図 ここをクリックして下さい(PDFファイル) ・防災用品 辛川市場町内会が保有する防災用品はこちら |
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| 辛川市場では次の活動を実施しています。 ・囲碁 詳細はこちら ・つむぎ会(サロン) 詳細はこちら ・グラウンドゴルフ 詳細はこちら ・ペタンク 詳細はこちら ・あっ晴れ!もも太郎体操 詳細はこちら |
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吉備津神社本殿の四隅に祀られている御崎神社の うち鬼神とされる温羅(ウラ)を祭神としている艮 御崎神社の分社です。 辛川市場の艮御崎神社がある小丸山は、太古の昔 に桃太郎のモデルとされる吉備津彦命が温羅を征伐 した後、温羅の胴体を埋めた地であるとの伝承が残 っている。 艮御崎神社とは |
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県道61号線で下水道工事を実施している工事業者の方が、地域貢献活動として秋の町内清掃のお手伝いをして 下さいました。
小丸山の中山中学校のすぐ近くにある大木4本(樹高:20m〜30m)は、強風により倒壊すると学校の建物を 損傷させる恐れがあるので、岡山市に要望して伐採してもらった。
辛川市場で令和4年10月からグラウンドゴルフをはじめました 詳細はこちら |
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ここをクリックして下さい(PDFファイル) 任意の場所の標高値は国土地理院の地図で調べることができます。 ここをクリックし調らべたい場所にカーソルを合わせ右クリックで標高値 がでます。 |