小西満智子富山文化まつり実行委員長に聞く(その1)
投稿日:2021年6月4日
コロナ禍で私たちの生活のリズムが一変しました。富山学区でも行事の中止、活動の縮小を余儀なくされています。
そこで、富山学区連合電子町内会では学区内で活動する様々な団体にスポットライトを当て、中止・縮小になっても、「伝えたい」「繋ぎたい」「大事にしたい輪」を伝えたく、運営する方々にその想いをインタビューすることにしました。
第一弾として“富山文化まつり”実行委員長の小西満智子さんのインタビューを3回に分けてお送りします。
小西満智子(こにし みちこ)さん
海吉・中村町内会在住。自宅でピアノ教室をされる傍ら、赤木貴久子さんと“二蝶”を結成し各地で篠笛の演奏活動をされています。
(聞き手:横地・末澤)
― 実行委員長を引き受けた経緯を教えてください。
(小西)富山文化まつりは一昨年で17回を数えましたが、残念ながら昨年はコロナ禍で中止を余儀なくされました。私は、第1回からお手伝いをしていましたが第8回から実行委員長を仰せつかりました。第1回は富岡さんが、第2回から第7回は實村さんが実行委員長を務められたので、私はその後を継いだことになります。
― 実行委員長として心がけたことは何がありますか。
(小西)やはり一番は「富山の町が元気で文化が高い町になって欲しい」これを掲げ学区の皆さんが中心となって講座生以外も招いたことがよかったと思いますし、それを多くのスタッフが和を持ってスクラムを組んでくれました。ですから、とても楽しかったですね。
― 初めから富山公民館と富山小学校の2会場で行われたのですか。
(小西)当初は、公民館まつりとして富山公民館のみで実施していましたが、講座生の発表の場として富山小学校の体育館をお借りしました。私が実行委員長を任命されたのを契機に、学区で活躍されている方々に広く発表の場を提供したいとの思いから各方面と協議し、公民館の講座以外の方にも開放するようにしました。
当初は若い方の参加は非常に少なかったのですが、実行委員の努力により回を重ねるごとに増え最近では子どもさんや三世代での参加も目に付くようになりました。「学区民のまつり」という目標に少し近づけた気がします。
― 思い出に残ることを教えていただけませんか。
(小西)富山文化まつりを運営することで勉強させてもらったことがあります。
1つ目は「絶対争わない」ことでした。これが富山文化まつりに多くの学区の皆さんが来てくださったことにつながったと思っています。
2つ目は「相手の言うことを否定しない」ことです。参加される方だけでなくスタッフの意見にきちんと向き合うことで理解し合えたことですね。苦労もありました。それは「機材・器具などの運搬」です。オージー技研さんが若い力をたくさん貸してくださいました。嬉しかったです。また、オムロンさんにも以前から健康器具を提供して頂いています。これらから地域に支えられているんだなとつくづく感じています。
(続く)
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