四番川遊水池「大水尾」

投稿日:2021年9月9日

 上の写真は、四番川の最下流部(遊水池)です。岡山ふれあいセンターや岡山市消防教育訓練センターの南方、児島湾沿い(中区桑野)にあります。
 沖新田の干拓以来、百間川の河口部一帯は「大水尾(おおみお)」と呼ばれてきましたが、この遊水池はその一角にあります。
 さて、この大水尾はなぜあるのでしょうか。どんな役目をしているのでしょうか。その答えとして、大水尾の周りをよく散歩しているというY・Yさん(小用水町内会)のエッセイを紹介します。
                               

「大水尾(おおみお)」は岡山だけの話し

 今は亡くなった就実大の学長柴田一先生(1930-2017)の「追っかけ」をしていて、先生の一説として、「沖新田の排水の『要(かなめ)』に『大水尾』なる貯水湖があり、大水尾は潮の潮汐を利用して稲を育てた後の悪水を海に排水するシステムである」と教わった。

  岡山平野は江戸期に「吉備の穴海」と称された瀬戸内海の内海を干拓して出来た平野で、現在は岡山市街地を構成し、水田も残るが70万市民の大半が生活している。

  沖新田では、旭川が市街地に入る12Kmほど上流から「祇園用水」で受水し、枝分れした農業用水路で田に給水後、最後に四番川に寄せ集め「大水尾」なる貯水池へ一時的に溜めて、潮の干潮を利用して排水する仕組みだ。海抜0m地帯の悲哀は古い。

 備前岡山藩では吉備の穴海を干拓し江戸期の人口増の胃袋を支えた。お蔭で岡山藩では、県北の松平家が治める津山藩と違い、農民一揆は無かった。質素倹約を武士の鑑と殿様が率先して実行した善政の歴史を想いおこしながら、海岸線に沿った大水尾を眺めつつ散策する。

                       
エッセイ集「雑学の泉(第19集)」より一部抜粋・編集   (瀬崎)

        

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