操明懐かしの写真館(第7回)
投稿日:2021年4月21日
昭和の旭川風景
旭川は源流の蒜山高原の北端から総延長142Kmを流れ大河となって悠然と児島湾にそそいでいます。河口部に位置する当地域は古来より旭川とのつながりは深い。
魚介類や海苔といった海産物の幸に恵まれ生計の糧にする人たちもいました。
また、釣りや泳ぎ、川遊びから船運など大人から子どもまで川から受ける恩恵はたくさんありました。
昭和の時代に旭川で見られた風景を現存する写真で振り返ってみました。
桜橋ができる(昭和36年)までは対岸の福島へ渡し船が行き来しており、浜中、宮道の2ヶ所に船着場がありました。通勤客や南郵便局からの郵便も毎日定時に渡っていました。
平成になって岡南大橋が出来て周囲の様相が大きく変わりましたが、古き良き時代の昭和を時には懐かしく思い出してみたいものです。
- 昭和2年5月 旭東幼稚園卒園アルバムから 宮道にあった海水浴場へ軽便鉄道に乗って親子で貝拾いに
- 昭和29年7月 京橋港を出港する客船「みずほ丸」春はお遍路さん、夏は海水浴に豊島や小豆島にと賑わったが、昭和39年に岡山港にその役割を移す
昭和34年5月 江並沖を行く南備海運の客船「小豆島丸」対岸はクラレ岡山手前には漁船が係留している。夏になると満員(300人位)の海水浴客を乗せて毎日航行していた。船からは大音量の音楽が流れていて土手のすぐ近くを通るので 手を振るとお客も手を振っていた。夏の風物でもあった。
- 昭34 江崎に岡大のボート部艇庫があり河口から新京橋あたりまで約5キロが練習場になっていた
- 昭57 男子部員は艇庫で合宿、女子は江並中用水の民家で合宿していたので地元と深いかかわりをもっていた。
- 昭34 こどもたちも手製の竿でハゼ釣りを楽しんでいた。多い時は晩のおかずになっていた。
- 昭34年7月 プールのない時代旭川が水泳の練習場高学年には対岸まで泳いでくる子もいた
- 昭35年7月 まだ舗装もされていない堤防に当時最盛期だったイ草が道の両側に干されている 前方に発電所が見える
- 昭40年秋 夏が終わると三蟠港突堤にハゼ釣り客がいっぱい、海上には釣り船もたくさんでていた 現在は埋め立てられ東側は新岡山港、向かい側には児島湾大橋が架かって様変わり
- 昭42年 火力発電所の燃料の石炭を九州筑豊から運んできた船が停泊中 向かいはクラレ
- 昭48年9月 江崎付近の砂場では別名黄シジミといわれた名物の宮道シジミが取れ、干潮時には家族連れが潮干狩りを楽しんでいた。先方に発電所が見える
- 平成4年 岡南大橋最後の橋げたが架かる瞬間
- 平4年9月30日 開通記念式典が料金所前で行われた
- 同日 東詰め江並の信号地点 対岸の岡南地区が近くなった
- 渡り初めをする人たち
文責 萩原正彦
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