高島を知る(3回シリーズ、その1)

投稿日:2020年5月12日

第1回 伝説と思い出の島

児島湾に浮かぶ高島(岡山市南区宮浦に属する)は新岡山港と目と鼻の先にあり、当学区とは縁の深い島です。以前は春になると島全体がピンク色に染まり市内有数の桜の名所であった高島公園へ家族と花見に行きました。昭和初期には花見客相手の売店もあり、軽食も出していたそうですが昭和50年頃には桜も枯れていきました。子どもの日には広場で運動会をした思い出があります。島の浜辺では蛤、灰貝、あさりや鎮台貝などがたくさんとれ、夏には海水浴を楽しむ人たちもいました。
歴史の上では、神武天皇が東征の時、吉備の高島に何年か滞在したと古事記、日本書紀には伝えられ、島の南に位置する高島神社に神武天皇は祭神として祀られています。島には縄文時代から弥生、古墳時代の遺跡があり、祭祀の遺構とともに数多くの出土品が発掘されていることから古代から人が暮らしていたことがわかります。江戸時代には池田家の祈願寺の松林寺があったため、藩主が訪れた際に休息するための茶亭がありました。
現在、下藤崎にお住いの嵐道文さんの曽祖父の嵐濱夫は450石取りの岡山藩士で、幕末の維新戦争で幕府追討軍の先鋒を勤めた岡山藩の指揮者の一人として参加。江戸城での西郷隆盛と勝海舟の会見にも立ち会ったそうで、明治6年多年の功労により池田家より高島を与えられ、嵐家は以後三代にわたりこの島に住んでいましたが、沖元に居を移し昭和51年から無人島になっています。今も道文氏は畑地4反5畝を所有し季節の野菜などを作っておられます。
島には昔から「天真奈井」(あまのまない)と呼ばれる極めて良質の真水が出る井戸があり、海岸近くの人たちは井戸水の恩恵を受けてきました。なぜ海中の島から真水が出るのか分かりませんが一説にはこの島が神の島だからともいわれています。
現在、高島の大半は同和鉱業(株)が所有、他を嵐家、神社(宮浦)の社領地と区分されています。

資料・写真提供 嵐道文 氏     参考文献 沖新田開墾300年誌            文責 萩原 正彦

 

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