徳倉城攻め

投稿日:2018年2月20日

2月12日の「御津の山城1(徳倉城址)」を契機に現地を訪れてみました。1600年には廃城となっていることから当時をイメージした表現をしてみました。

時は戊戌(つちのえいぬ-平成30年)2月(げつ)17日、格言通り「腹が減っては戦はできぬ」のとおり「たらふく飯(いい)を食らふ」の後、御津の山城「城攻め」書状(御津の山城スタンプラリー台紙)を懐に秘め、未の上刻(13時)杉の嵶(たわ-母谷区地名)から、隣村の徳倉城へ向けいざ出陣。攻め入り口は、大手登り口から総勢2名により総攻撃するも、落ち葉攻撃、倒木遮りによる攻防戦を凌(しの)ぎ、小半時(約30分)の後、本丸へ進行。無事攻略後、懐から徐に書状を取り出し、城攻めの印を押捺後、無事下山。(3月31日までにパンフレットにある他の2城のスタンプがあれば、先着100名に景品あり)

書き終えました今、拙い文章によるものか、日頃の運動不足によるものか分かりませんが膝が笑っています。

以下は、その画像です。

上段左:案内板 上段中央:県道空港線工場団地前コンビニからの遠藤山
上段右:今回の登り口
下段左:本丸社 下段中央:野面(のずら)積み石垣 下段右:河内から母谷区の一部及び御津中学までの遠景

駐車場は、河内公民館前広場が良いとのこと

カテゴリー:地域ニュース

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