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ニューストピックス(2012年9月5日)

知らない事の多かった「百間川歴史探訪」

主催 : 富山の自然を楽しむ会・富山公民館

平成24年9月5日(水)「百間川歴史探訪」参加者23名(男女50歳台〜80歳台)が9時前に富山公民館第一講座室へ集いました。

1 講演

大賀所長 9時から10時まで、講演を聴きました。

国土交通省岡山河川事務所百間川出張所所長大賀氏が、「百間川の役割」についてイラスト・図・写真を駆使して作られた50ページの資料を基に解説されました。

大賀所長の講演 1656年(明暦2年)津田永忠の治水論(治水と耕地不足の両立)によって荒手と放水路を築造した百間川が生まれこと、その後も、度々起こる水害に備えて堤防が整備され現在に至っていること等を詳しく説明されました。

2 百間川歴史探訪

10時10分マイクロバスで百間川歴史探訪に出発しました。コースは百間川保全用水取水口から要所で下車見学しながら百間川河口水門へ向います。案内は、14ページの資料(カラー写真満載)を使って富山の自然を楽しむ会代表の實村さんがされました。以下主なものを紹介します。

○ 百間川保全用水取水口

保全用水取水口取り入れ口を見る参加者 最初に、岡山市中区竹田にある百間川保全用水取水口を見学しました。百間川の水源で毎秒1tの水が旭川より取り入れられています。

○一の荒手・二の荒手

一の荒手 次に、百間川保全取水口から南へ100mのところにある一の荒手を見学しました。洪水の時、旭川の水を百間川に分流して水害を防ぐ重要な仕組みである荒手はコンクリート製でしたが、端に亀の甲と呼ばれる備前積みの石積みが残されていました。現在毎秒2000tの放水が可能になっているそうです。

二の荒手 バスで移動し、中島竹田橋直下の二の荒手の見学をしました。

この荒手の石組みの長さが100間になることから百間川の名が付けられたそうです。三の荒手は、現在痕跡も残っていないそうです。

一、二、三の荒手の働きや仕組みを聞き、先人の知恵や土木技術に感心しました。

○ 祇園用水サイホンと百間川右岸用水

その後、原尾島橋上にある祇園用水がサイホンによって百間川を交差する取り入れ口、出口を見学しました。出口から祇園用水が分水して百間川右岸用水になっている様子などを見学して、操山公園里山センターで昼食をとりました。

○ 右岸用水が百間川の中へ

右岸用水が百間川の中へ 13時30分里山センターを出発して今谷橋上から、操山を避けて百間川右岸用水が右岸でなく百間川の中に入っている部分を見学しました。

○ 旧堤防と樋門

旧堤防と新堤防 少し百間川を下って米田橋上付近にある旧堤防と樋門を見学しました。現在の堤防を背景にした旧堤防は随分低いものでした。

○ 米田橋付近の今昔

資料を見る参加者 米田橋付近で、昭和49年に堤防が改修され農地が買い上げられるまでは、百間川の中に水田が広がっていた様子を資料の写真をみながら解説を聞きました。

○ 左岸から柾木山を望む

笄の井戸・倉安川と百間川の関係等、左岸から柾木山を手がかりに話を聞きました。

○ 最新の百間川河口水門

新水門 岡山河川事務所百間川出張所に再び所長の大賀さんを訪ね、新しく増設している水門について解説していただきました。これまでの水害をもとに算定すると既存の水門だけでは浸水被害が予想されるため、新しく円形の水門を築造しています。水門は、最新技術を駆使して3分の1の扇形水門を回転させて開け閉めするそうです。地震に強くコストも低く抑えられので、海外へもその技術が輸出されるそうです。

最後に公民館に帰着し、参加者の声を聞きました。

「身近にある百間川なので参加しましたが、知らない事が多く解りとてもよかったです。是非今後ともこのような機会を持ってほしいです。」ということでした。

解散は予定通り15時30分でしたが、ご高齢の方も酷暑にも負けず元気に終えることができました。ありがとうございました。

(文・写真:中村)

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