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従来のいのしし塀 | 一部崩壊したいのしし塀(15.9.6撮影) |
場 所 岡山市賞田
行き方 宇野バス四御神行「脇田」下車 西へ歩いて15分
唐人塚より山への坂道を100メートル登った所
説 明
竹やぶの中に10メートルほどの瓦屋根練塀の猪塀が残っている。元は堅固な造りであったであろうが長い間風雨にさらされあちこち崩れている。もともとは竜の口山の周辺に築かれ延々と続いていたものの一部で、竹やぶに埋もれてあちこちにその名残が見受けられる。
備前藩主池田光政公はしばしば大掛かりな狩を催した。光政公は江戸幕府の老中から『池田殿はしばしば大勢を催して狩を行われていると耳にしているが、どのようなお考えでそのようなおこないをなさるのか承りたい』と詰問された。度々の狩を戦の訓練とみられたのかも知れない。これに対して光政公がどのように答えたか定かでない。では池田公が狩でしとめた野獣の種類と数は次のようなものである。鹿330・猪25・狐20・兎その他であった。備前藩「日記留帳」より
大名の狩場と定められると農民が自由に立ち入って落ち葉や薪を取り、草を刈ることは野獣を恐れさせると厳しく制限させられた。農民は耕地を荒らされ困窮してこの猪塀を造ったのではなかろうか。
現在は、この竜の口山には野生の動物はほとんど生存していないと思われていたが、狐、野兎等に出会ったという話もあり、地元の人の話ではケーンケーンとなく雉の声を聞くこともあったり、狸であろうか畑の上を転げ回って作物をなぎ倒しているのを見たこともあるそうだ。
参考: 千葉徳爾書 「日本人と獣の話し オオカミはなぜ消えたか」
(今在家 小林 功)