ミステリーツアーIN赤穂
10月のふれあい広場は、赤穂線に乗って赤穂へ出かけました。晴天に恵まれ10月なのに暑いぐらいの1日、観光ボランティアの説明を聞きながら赤穂浪士の街を散策しました。
息継ぎ井戸
早水藤左衛門・萱野三平の両士が主君による刃傷事件の凶報を持って江戸から早かごを飛ばし、ようやく赤穂に到着した時、ひと息ついたと伝えられる井戸です。
page top花岳寺
浅野家の菩提寺として正保2(1645)年に建立。浅野家、森家の歴代藩主のほか47義士の墓碑がある。この山門は、もと赤穂城の塩屋惣門で赤穂市の指定文化財である。
page top大石神社
大正元年、大石内蔵助以下四十七義士と萱野三平などを合祀して創建されました。大石神社(おおいしじんじゃ)は、『忠臣蔵』のモデルである元禄赤穂事件において討ち入りをした大石良雄ら赤穂義士を祀る神社。江戸時代には幕府にはばかって表立って顕彰することはできなかったが、明治元年(1868年)、明治天皇が赤穂義士の墓のある泉岳寺に勅使を遣わし義士たちを弔って以降、赤穂と京都に義士を祀る神社が創建された。。
大石神社の正面通路には大石内蔵助はじめ四十七義士達の石像が並びます。
page top赤穂城跡
赤穂城は5万石の浅野氏には過度に広壮で、これがために財政難に陥った。5層天守の造営も計画されていたが幕府への遠慮か財政難の為か造営されず、天守台のみが今日に残っている。
復元された庭園
大池泉は昭和59(1984)年の発掘調査によって全容が明らかになり、浅野・森時代の姿に復元されています。
大手門
大手隅櫓
赤穂城跡に残る唯一の櫓であるが、昭和30(1955)年に再建された物だそうです。
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