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中井の地名の由来
(『吉備温故秘録』、『岡山市の地名』より)
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川中の井→中井 |
(中井村は)城下町の北東、京橋から一里のところにあり、東は雄町村、南は清水村・荒井村、西は新屋敷村、北は国府市場村に接していた。古代は上道郡上道郷に属していた。旭川の氾濫原で湿地帯であった。万治4年(1661年)の絵図には、村の周辺に「このふけ四尺五寸足入」などと記されている。「ふけ」は足がぬかるむ深田のことである。(平成元年4月岡山市発行『岡山市の地名』)
中井の地名の由来としては、1789〜1801年編纂の『吉備温故秘録』に、「……清水用水、川の内に井筒あり、是より清水湧出せり、至って冷水なり、川中の井の上略にて村名とせしなり……」と記されています。上記文中の清水川こそ現在の中井川です。
一方、昭和12年発行の『高島村史』には「……旭川の支流ヌクイ川は総社の西より分流しヌクイ川田となり内川田下川田となり東し大安寺資財帳所載の所謂石間江に朝せし跡歴然として存す。中井はヌクイの轉(転)なり……」ともあります。
中井地名のルーツとして、個人的には前述『吉備温故秘録』に記載されている説に、よりロマンを感じます。 |
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中井公会堂から北へ約50mの所に現存する湧水井戸
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300年前の48軒は10倍に |
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1721年編纂の『備陽記』には、村高632石2斗7升、田畑38町1反5畝、家数48軒、人口284人と記されています。ちなみに284年の歳月を経て、現在の中井町内は10倍の約480世帯と100人の独身世帯です。 |
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明治22年(1889年)の市町村制施行の際、祗園村などと合併して高島村となり、昭和29年(1954年)岡山市に編入合併され現在に至っております。
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