『福祉県おかやま』の源流をたどる

投稿日:2020年8月5日

津嶋悟若松園園長

津嶋悟若松園園長

 8月3日(月)午後1時より富山公民館において、社会福祉法人備作恵済会若松園の津嶋悟園長をお招きし『福祉県おかやま』の源流をたどる~社会的養護の発展過程を中心に~と題した講演会が開催されました。

 岡山は、古くは奈良時代に和気清麻呂の姉である和気広虫が、多くの孤児を引き取って養子として育てたのが、記録として残る日本で最初の里親と言われています。また、大正時代には民生委員のルーツである済世顧問制度を創設した笠井信一知事を輩出している福祉先進県です。

 

「社会的養護」とは

・社会的養護とは、保護者のない児童や、保護者の適切な養育を受けられない子どもを公的責任で社会的に保護養育するとともに、養育に困難を抱える家庭への支援を行うもの。

・社会的養育は「子どもの最善の利益のために」と「社会全体で子どもを育む」を理念として行われている。

 

会場風景

会場風景

 この日は、「岡山の四聖人」の中で、岡山孤児院を創設し、明治の社会福祉事業の先駆者として活躍した石井十次を中心に史実に基づいた講話を聴くことができました。

 

 「岡山の四聖人」とは

 石井十次のほか、日本の感化事業の先駆者である留岡幸助、日本救世軍の創設者の山室軍平、岡山博愛会を興したアリス・ペティ・アダムス

 

 およそ120年ほど前のこと。社会福祉という言葉もなかった時代、今の岡山市中区門田屋敷を中心とした一帯に、最大1,200人もの孤児を養育していた民間の児童福祉施設を設けた石井十次は、大原孫三郎児嶋虎次郎らの多大なる援助により、生涯で3,000人に近い子どもたちを救ったそうです。

 その後、十次は故郷宮崎の茶臼原の大地で自給自足のための自然教育を決心し、岡山孤児院の家庭舎や学校も解体し船で運び、茶臼原230町歩の広大な大地を開拓して、孤児たちが将来も自活できるような農村共同体の実現を目指しました。大正3年、持病の腎臓病が悪化し1月30日倉敷から初孫(児嶋虓一郎)誕生の知らせを聞いた直後に息を引き取ったそうです。

 亡くなる前、最後に口ずさんだ愛吟の都々逸

    鮎は瀬にすむ

     鳥は木にやどる

      ひとはなさけの下にすむ

 郷土の誇れる先達の話を聴くことができ、心より感激したひと時でした。

 

(文・写真:横地)

カテゴリー:ニューストピックス

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