富山小学校建学之地記念碑

投稿日:2020年3月28日

 年々そのことを知る学区民は少なくなって行くが、福泊233番地にある小学校は初めからここにあったわけではない。

 富山小学校の前身は「吉富小学校」と言い、明治15年(1882年)に現在の中区福泊字小山(現在、岡山市農協富山支所がある場所)に創設され、以来昭和41年(1966年)までの84年間は、途中4度の名称変更を経ながらもこの地で(記録が残っている明治21年以降だけでも)2,300名以上の卒業生を輩出して来た。

昭和19年頃の小学校正門

昭和19年頃の小学校正門

昭和36年頃の富山小学校空撮写真

昭和36年頃の富山小学校空撮写真

 

 ここの小学校が移転した年の卒業生はすでに60歳半ばの高齢者になっていて(2020年現在)、もう何年もしないうちに「JAがある場所は小学校だった」「コミュニティハウスがあるところには小学校の講堂があった」などということを知る学区民はいなくなってしまう趨勢を淋しく思い、「記念碑を建てたい」と提唱する古老たちもいたが、材料や資金面で実現は叶わなかった。

 平成31年度(年度途中から令和元年度)に至り、岡山市が「岡山歴史のまちしるべ」事業を展開~市民に企画提案を募集していることを知り、昭和23年度の同小学校の卒業生2名(小野田利正・原 明敏)が中心になって「富山小学校建学之地記念碑建立期成会」を立ち上げ、時の富山学区連合町内会会長の小橋一郎氏を会長に迎え、現地調査、史実の確認、地権者の了解取得、建立後の維持管理等について検討を重ね、令和元年5月7日に岡山市長に対して企画提案書を提出、同年6月には市長から「受理」の回答を得た。

 令和2年3月には工事が始まり程なく記念碑建立は竣工したが、この慶事を寿ぎ、幾多の少年少女たちがこの地で学び、80有余年にわたり学区民の研鑽と交誼の場としても存在し続けた史実をこの記念碑と共に後世に伝えたいものと、令和2年3月18日に建立期成会の主催による除幕式が計画~挙行され、軽合金製・表面合成樹脂加工の記念碑が全貌を現わした。

 この日をもって、富山小学校建学之地記念碑建立期成会は発展的解散となり、以後の管理は富山学区コミュニティ協議会に移管された。

完成した記念碑の全体像(正面)

完成した記念碑の全体像(正面

昭和40年当時の富山小学校

昭和40年当時の富山小学校

記念碑「沿革」

記念碑「沿革」

 

設置場所:JA岡山富山支所出入口東

記念碑の大きさ:幅350mm 厚み75mm 地上高1360mm

富山小学校建学之地記念碑

JA岡山富山支所出入口東に建立されている「富山小学校建学之地記念碑」(2020年3月撮影)

◆関連ページ → 富山小学校建学之地記念碑の除幕式

 

 なお、この記念碑の背部地中には、建立の経過や様子を将来へ伝える書面と写真を納めたタイムカプセルが埋められている。

◆関連ページ → 「富山小学校建学之地記念碑」の根元にタイムカプセルを埋設

2020年3月(文:小野田、写真:富山小学校・小野田)

カテゴリー:とみやま点描

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