伝統行事3(バレンタインデー)

投稿日:2022年2月17日

2月14日は「バレンタインデー」でした。この日は名古屋時代のお隣さんが自家製の手作りチョコレートを送ってくれます。こどもが同学年だった事も有り、当時はスキーやキャンプでよくご一緒させていただきました。冬の時期には名古屋市おんたけ休暇村を複数家族分予約して下さり、一緒に楽しませてもらっていました。たいへんお世話になった隣人です。こどもが独立してからは留学生のホームステイを行っており、たくさんの留学生の親代わりにもなっています。岡山に戻ってからは知人が作っている岡山名産の桃やぶどうを食べてもらっていますが、お返しにバレンタインに学生達に作る手作りのチョコレートを今年も送ってくれました。

今日は久々の雪の朝でしたが、19日に「雨水」を迎え雪の季節から春に変わっていきます。

バレンタインデーの起源(聖バレンチノ教会と恋人たちの伝説)

ローマ帝国時代のはじめ、イタリア中部の町テルニに駐屯していたローマ軍兵士サビノは、キリスト教徒の娘セラピアと恋に落ちます。しかし、当時のローマ軍人は、権力に反するという理由でキリスト教を信じることを禁じられており、結婚はかなわぬものとされていました。それでもふたりの愛は深く、サビノは掟を破り聖バレンチノ教会で司教の洗礼を受け、セラピアと結ばれます。ところが直後にセラピアが不治の病に冒され、希望を失ったサビノは「どうか一緒に神に召されますように」と司教に願いを請います。その願いは司教の祈りでかなえられ、ふたりは共に天国に旅立ったと伝えられています。その後、聖バレンチノ司教は、ローマ帝国の迫害を受けながらも恋人たちを次々と結婚させますが、273年ついに反逆罪で処刑されてしまいます。テルニの人々は、この愛の聖人の命日である2月14日を「愛の日」として定め、を愛する者同士互いに贈りものを交換し合うことで、司教への感謝の念を表すことにしたのです。バレンタインデーは、こうして誕生しました。

海外の状況を含めてバレンタインデーの詳しい説明はmeijiの以下の記事をご覧下さい。

https://www.meiji.co.jp/hello-chocolate/culture/25.html

日本のバレンタインデー誕生は?

1932年、モロゾフは日本で初めて〝バレンタインデーにチョコレートを贈る〟というスタイルを紹介。「欧米では2月14日に愛する人に贈りものをする」という習慣を米国人の友人から聞き知った創業者が、この素晴らしい贈りもの文化を日本でも広めたいと考えたことがきっかけでした。チョコレートでできたハート型の容器にファンシーチョコレートを入れた「スイートハート」と、バスケットに花束のようなチョコレートを詰めた「ブーケダムール」を発売しました。

1959年(昭和34年)、メリーチョコレートカムパニーがハート型のチョコレートに鉄筆でTOとFROMを描き、贈り手と相手の名前を入れるサインチョコレートを発売したところ、斬新なアイディアが注目を集め、バレンタインは徐々に知られるようになりました。1959年頃といえば女性週刊誌が次々に創刊され、女性のライフスタイルが見直されていた時代。その潮流の中で『女性が男性に1年に1度愛の告白ができる日』というメリーのキャッチコピーは女性の心を捉えたのでした。1960年代のバレンタインは『愛の告白』であり、好きな人にそっと手渡す『初恋チョコレート』でした。

モロゾフとメリーのバレンタイン紹介記事は以下をご覧下さい。

https://www.morozoff.co.jp/quality/valentine/

https://www.mary.co.jp/mary/brandstory/valentine.html

カテゴリー:ふるさとの花や生き物 里山保全会

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